2月6日のご飯
・大根の葉の混ぜご飯
・鶏肉と大根の煮付け(+塩昆布)
・水菜とベーコンのレンジおひたし
・セロリやキャベツなどのスープ
2月2日のごはん
・ひじきとグリンピースの混ぜご飯
・豚肉とごぼうの味噌炒め煮
・ベーコンとキャベツの柚子胡椒和え
・かきたま汁
起動中…
・ひじきと塩昆布の混ぜご飯
・若干煮崩れてしまった鯖の味噌煮
・白菜としいたけの煮たやつ
・ひじきのベーコン炒め
・大根と麩のすまし汁

小鉢を使いたかったので無理に品数を増やしてみた。高島屋で五客千円で買ってきたもの。魚用のお皿も欲しいけどそっちは高かった。古道具屋の店頭で叩き売りされているものなんかも見てみたかったけど面倒だったのでやめる。最近お皿や器を見るのが楽しい。ものの価値はなんにもわからないのだけど。家は相変わらず狭いしきれいでもないし、いかにも素敵な暮らしを志向している感じのものを買って並べてもちぐはぐになるのだろう。とりあえずは引っ越したい。

食後中途半端に寝てしまったせいで頭がぼんやりしている。十分起動しない頭のままパソコンを立ち上げると申し合わせたかのようにこっちも馬鹿みたいに重くてなかなか画面が動かない。
夢では創作落語をいきなりやらされて追い詰められている。そういえば米朝さんの地獄八景を借りたまま聞いていないんだった。人前に立たされて云々という、現実においても急所となっている部分を夢でも指摘されるというのはどうなのだろう?時々寝覚めが悪い。

案外ストーカー気質を隠し持っているんではと最近気付いて、その事を誰かに指摘されたらどうしようと内心うろたえる。表面上の調和はとれていても、自分だけがコミュニティからはじかれているなどという妄想は相変わらず消えないし、そもそも自分は与える事をしているか?いや、与えるなんて言葉を使えるほどいつの間に偉くなったのかな?などとも思う。絶えず誰かが自分のために安心をほどこし大丈夫という言葉をさずけてくれるのを待つのは、それが切れると発作でも起こしそうになるのは、子供でないのだから人としてあまりに魅力がない。だけど私にはそういう欠け落ちたところがあるのをたびたび意識するし、その流れに絡めとられそうにもなる。
粘りつく情念や内側からの視線のようなものから自由であればとは思うものの、そうなれるには私はあまりに長く自分の挙動に加工を加えすぎてきたし、規制を設けすぎてきた気がする。だけど、それでやっと人並と言えるくらいに自分の振る舞いに統制がとれてきたのも事実であり。

眠いせいで何を書いているのやらと最後に言い訳して、寝ます。
スパイラルの中を落下していくような
・塩昆布の混ぜご飯
・豚肉とキャベツの塩昆布炒め
・きんぴらごぼう
・人参と大根と白葱の味噌汁

お腹痛くてやる気ゼロだったけど作ってみた。塩昆布がなかなか良かった…しばらく混ぜご飯に活用する予定。


少し前にようやく復調し、しかしあっけなく数週間で元の状態へと崩れてしまう。死ねばいい、とほとんど口癖のように自動的に脳裏にひらめかせる事が、かえってそこから先へ悪い思いつきが具体化するのを防いでいる気もする。自分で自分の内へ踏み込む、踏み荒らす事は実際はさほど好きではなくて、なのに手持ち無沙汰になると何かにそそのかされるようにして無駄に己を貶めるようなレッテル貼りばかりを脳内でせっせと行っていたような。自分の心の中は極力立ち入らないよう封鎖しておいた方がいい。そうやって全てが停止して表面だけがくるくる動いている方が健康なのかもしれない。それが本音である一方では、そうしている間にも何か大事な部分が膿んでいってしまっているのでは?と嫌な不安が絶えずちらちら覗いてもいて、どちらに従っていけばいいのかがさっぱりわからない。
と、何を言っているんだろうか。それこそ頭が膿んでいるんじゃないかと自分でも疑ってしまいそうだけど。馬鹿だなあ。ずるずると落ち込んではその姿に馬鹿だなあと呆れを投げ返すというのを、これからもひとりで連鎖的に行っていくのだと思う。そういう意味では、側に人がいてくれる状態であるのに未だにひとりで完結している部分が思った以上に多いのかもしれない。馬鹿だ。
1月24日のご飯
・豚肉としいたけと白葱のカレー炒め
・大根のしょうが味噌煮
・にんじんと大根の皮のきんぴら

仕事後だったけど作れたなあ。大根の皮のきんぴらが好きで、自分でもはじめて作ってみたのだけど、手を抜いてレンジで作ったせいかあの苦味が全部飛んでていまひとつな味に。ちゃんと炒めて作るべきか。
それにしても写真を載せることってどうなんだろう。これが大学生の自炊日記とかならそれなりに許される感じなのだろうけど…。

ムックの『極彩』をやっと借りて聴いているのだけど、通常盤に収録のボーナストラック「ガーベラ (surf ver.)」に爆笑。なにこのベンチャーズ風。しかも困った事に、何度も聴いているとじわじわ名アレンジに思えてきて。ネタの一環として企画されたものと勝手に推測します。面白すぎ。ちゃんと聴きこんだら感想も書きたいところ。だけども自分でこう言い切るのは変だけど、私は多分根本的に明るくはない性格だろうから、以前のように混沌として吸い寄せられるものは感じないかな。自分の中の足りない部分を埋める音楽ではないと思う。ムックで一番打たれた曲が「路地裏 僕と君へ」なので。ちょっと青臭い事を言うようだけど、私にとっての音楽は冷静に鑑賞するものではなくて渇望するものなのだ、多分。でも基本的にメロディーが良いしこれはこれで面白く聴いてはいる。

1月23日のご飯

2007年1月23日 食べる
1月23日のご飯
・鶏団子と大根と人参の煮物
・白菜とちくわのかつお節煮
・わかめと卵としめじの味噌汁

この鶏団子、自画自賛するのもアレですがやけに上手くできてしまいました。白葱、にんにく、しょうがと一緒に練っただけなんですが。これはまた作りたい。

1月19日のご飯

2007年1月19日 食べる
1月19日のご飯
・炊き込みご飯
・豚肉とこんにゃくとにんにくの芽の豆板醤炒め
・白菜とちくわのあっさり煮
・卵のかたまり具合が失敗気味のかきたま汁

光ファイバー開通。業者の人と「auの音楽ケータイ機能は案外面倒で使わなくなる」という話で思いがけず意気投合。

午前中は府立図書館へ。出不精の私が午前中に活動するのは珍しいのです。前から思っていたけれどあの図書館には、専門の司書の人は半数か半数以下程度しかおらず、あとは高齢者人材サービス系のところから派遣されているような感じがする。とカウンターのおばさんの手つきを見ていてその思い込みをよりいっそう強固にした。

何らかの権威の失墜を(我が身を棚に上げて)ここぞとばかりに叩きまわる群衆にはうんざり。

1月18日のご飯

2007年1月18日 食べる
1月18日のご飯
・鶏肉としめじと白葱のバター醤油炒め
・職場でもらったお餅+ちくわ等のお吸い物
・人参セロリレタスの柚子胡椒サラダ

風邪の為11日からストップしていた本気の掃除再開。本気の、とわざわざ銘打ってみたところで、普段私はずいぶん掃除を怠っているわけで、いざ取り掛かろうとすれば即本気モードになるのは避けられないこと。何故掃除をしているかといえば明日ネット工事の人が来るからで。ここのアパート全戸光ファイバーに切り替わるとの取り決めがなされていたので、明日でADSLともお別れなわけです。時々腹が立つくらい重いことがあるので(ソフトやら何やらインストールしすぎなのかも)少しは改善されたらいいなあ、というより私のこのいらちの性格こそが真っ先に改善されたらいいわけか。それはそうだ。

1月17日のご飯

2007年1月17日 食べる
1月17日のご飯
・グリンピースご飯
・鶏肉と白菜としいたけの中華風?とろみ煮
・ベーコンとひじきと油揚げの炒め煮
・キャベツやらセロリやらのスープ

ベーコンとひじきの取り合わせが結構好評。これはまた作ろう。

昨日の日記を書いてから思ったけれど、報道というものに反抗する時、私は「報道ステーション」や「ピンポン!」みたいなニュース番組やワイドショーを無意識的に念頭に置いている気がする(他にも色々あるけどいい印象がないのはこの二つ)。というより古館伊知郎や福沢朗のようなエンタメ的なノリを隠し切れない印象のするキャスターに嫌気がさしてしまう。まあ「ピンポン!」なんかはそう長くは続かないだろうと踏んでいるけど(と何気なくテレビ欄を見て知ったけど、あの番組のキャッチコピーがまさに「劇場型情報エンターテインメント」なのですね)。報道には視聴者のご機嫌取りも独善もいらない。エンタメ要素はもっと必要ない。と思う。

1月15日のご飯

2007年1月15日 食べる
1月15日のご飯
・ひじきの炊き込みご飯
・さんまの缶詰と葱と豆腐のしょうが煮
・卵とにんにくの芽としいたけの柚子胡椒炒め
・ベーコンとキャベツと人参とセロリのスープ

昨日からの熱と咳で布団にへばりついていたのに、少し熱が下がった合間に無理してご飯を作るからまたぶり返す。アイスノンが手放せず。
潤い足りず
というのは今日の昼ご飯の話で、普段スパゲティをあまり作らないせいもあり何だか乾いた食感だった。つるっとしたのが食べたいけど油をたくさん使うのは嫌だしなー。このタイプのパスタは量の割に食べ応えがあってすぐにお腹いっぱいに。奥に見えるのはベーコンとちくわと卵の炒め物。

昨日職場で風邪をもらってきてしまったのか、咳と身体のだるさと。今日も仕事がらみで色々と思うところがあったけど(非常勤職員の常勤職員への敵対心とかへんに結託する事とか、省みる事や自分の位置を集団の中で相対化するかしないかの違いとか)、深入りし深読みしすぎると面倒なだけで何の得にもならず。今日思った事もつまるところは、付き合いにくいおばさんっているよね、ただその一言に圧縮できるかもしれず。

善意(と自らを善意にあふれた者として思い込む事)って面倒ですね。と今更。人というものに対してどうしても楽観的にはなれない性格が、この仕事を続けるなかで決定的な枷になっている気もします。

1月11日のご飯

2007年1月11日 食べる
1月11日のご飯
・ちくわとキャベツの焼うどん
・鶏肉とセロリと人参の適当な炒め物
・ベーコンとしめじのかきたま汁

お米がなくなったのでうどんで。最近セロリが妙に食べたくなる。

いつものぐうたら休みとは違って、急に掃除に精を出したくなる。ともかくは恐ろしく汚れていたトイレまわりと台所の床はせっせと拭いた。でもシンクは汚いの。ご飯作るくせに。家が汚いと運が逃げるという信条を綺麗好きの親戚の人は日々実践している、という話を母が繰り返し聞かせてくるのだけど、今日の分を考慮してもまだまだ私は常人のレベルにも追いついていないかと。
さらにホームセンターにも出かけ、キッチンストッカーと新しい枕カバーと組み立て式収納ボックスを選ぶ。駅までが遠いのでえっちらおっちら運んだ。これでコードが埃にまみれていたプレステ周辺もすっきり。ホームセンターって私には結構楽しい。今の部屋は収納に恵まれておらず一畳かそこらしかないので、もう少しゆったりした部屋に引っ越せるならもっと色々な家具に凝ってみたくもある。インテリアというものとは性格上縁遠い気もするけれど。相当面倒臭がりで汚くても平気なので。

ともかくは掃除が楽しくなる方法を模索しないといけないですね。

初詣決行

2007年1月7日 食べる
初詣決行
着物を着て初詣をする!と前々から計画していたこの日は、朝起きて窓を開けるとそこは雪と芯から冷えそうな空気とが強い風とともに横殴りに襲い来る世界で、急な気温の変化に外出を中止しようと思ったのだけど、この日を逃すと初詣と言うには遅すぎる日取りしか用意できない事を思って、まさに決行という思いで出不精な私達(というか私)は出かける準備をしたのでした。
一目ぼれした青系の縞の着物はL寸しか残っていなかったせいで着付けにかなりてこずり、それだけでかなり疲労してしまった上に着崩れも大分気になったのだけど、自分で着て外を歩いたのは本当に久々だったのでやっぱり楽しく嬉しかった。寒さ対策でタートルネックとブーツを合わせてみたけどそんなに変ではなかった(だけど写真日記を見てもらうと一目瞭然ですが最後の最後で着付けに決定的な勘違いがあった事に気付き、わざわざこんな格好をしたくせに間違いがあるなんてあまりの恥ずかしさにへこんでしまったよ…それで嬉々としていたかと思うと)。早くに亡くなった母方の祖母の帯揚げなんかも合わせやすくて早速重宝しそうな雰囲気を感じた。だけど基本的には昔ながらの柄や色使いよりも、いまどきの乙女チックな方向性が好きです。八坂神社や高台寺周辺を散策して、おみくじは吉だった。振袖を着ている女の子もいて羨ましいなあ。悪趣味!と眉を顰められるかどうかのぎりぎりラインみたいなごてごてどっしり飾り付けた格好を一度してみたいなどと思う私です。雪は途中からやんだのも幸いだった。

だけど洋服って楽だなあと、帰宅して脱いだものを積み重ねてみて思った。疲れたけどご飯をあまり作っていないので作った。玄米ご飯、鶏とにんにくの芽とじゃがいもの柚子胡椒炒め、冷奴とレタス、ベーコンやセロリ等色々のミネストローネ風?と言っていいのか、トマトケチャップで味付けしたやつ。セロリ結構好きになりそう。ともかく一日楽しかったです。

1月1日の日記

2007年1月1日 食べる
1月1日の日記
・一応年越し蕎麦(いかとしし唐の天ぷら、小松菜、椎茸)
・冷蔵庫の余り物の炒め物

去年の話をするのもなんですが、昨日はこんな感じでした。何だこれは。ニシンも海老天も乗っていない、わけのわからない取り合わせですけど冷蔵庫整理の意味あいが大きいです。
昨日は紅白で大晦日の雰囲気を演出するもすぐに飽きて、YouTubeで漫才見て一応カウントダウン番組をその瞬間だけ見て、さっさと布団にもぐってました。地味ー。

職場から帰る電車に乗っている間に、今年のというか長期的な目標を一つ思い出す。

●abandonという事、そうされるべき自分、という想念からなるべく離れる

新しい年なのに初っ端から何を言うか、と自分でも引っかかりを覚えつつ書いてしまうけれど(その引け目から意味なく英単語に置き換え)。
私に何が足りないかというと、なまの部分を出して交流できる相手が悲しいくらいいない。仕事関連でないトピックスを共有できる仲間の存在に飢えているんだなあと年末頃につくづく思った。それが解消できれば上に書いた問題を多少でも崩すとっかかりになるのでは…とぼんやりながら考えているのだけど、ではそういう相手を探すには?という所で早速詰まってしまう。いかに大学時代に人付き合いを極力避けたり、深入りしたくても一歩引いてしまったりしていたか、という後悔。
私の一生はこの問題との終わらない付き合いであるのだと今の時点で早くも思う。誰かに与えられるほどのものを自分の中に見出せない。私の中にはハレの場に出せるものがほとんどない気がするのだけど、これはもしかしたら異常か?

**********

職場はお正月だというのにノロの影響でひっそり。皆部屋で寝ていてもらってる。ばたばたする。おせちもほとんど手をつけることなく廃棄…つくづくもったいなかった…。帰りにコンビニでお年玉用の五千円札も作ったし明日は帰省します。

12月24日のご飯

2006年12月24日 食べる
12月24日のご飯
・玄米ご飯
・ロールキャベツ
・ベーコンと小松菜と卵の炒め物
・サラダ

クリスマスイブだったけど、いつもと代わり映えしない献立です。外に食べに行っても混んでるので家で地味ーに。ロールキャベツってこういうお皿には盛り付けないよな…。

仕事上のことで思うことはあるけれど、これといって特記事項もない毎日。

12月22日の日記

2006年12月22日 食べる
12月22日の日記
12月20日のご飯はこんな感じでした。
・玄米ご飯
・豚肉と小松菜と卵の炒め物
・買ってきたコロッケ
・ベーコンと野菜のスープ

ご飯を作ってもその日に日記を書かずに少しの間放置してしまうのは、何かを書くのが面倒だから、というか更新しようとして自分の中に何も書きたいことがないのを発見するからかなあ。私の中は非常にからからと乾燥している。昨日見た夢では人が冷蔵庫のようなものに閉じ込められていて、開けると水が(例えば水族館のガラスが破壊されたらこんな風になるのだろうなというくらいの勢いで)どっと洪水のように溢れてくるという光景が印象的で、全体的に不安要素のあるものだったのだけど、今日は普通に買い物をする夢でほっとする。だけど寝覚めはそんなに。仕事嫌だなあと思うばかり。この仕事って?という思いは他の何人かの職員も抱えているのかもなあ、と思わされる場面に時々遭遇するけど、皆頑張ってるなあ。最近は本なんか読みたくなくて、もっぱらロマサガ(ミンストレルソングというシリーズ)にどっぷり浸かっている有様。最初はキャラクターデザインの微妙さをあれだけ馬鹿にしてたのに、彼にすすめられてあれよあれよと。何だかなあ。瞬間瞬間は楽しいです。それをどう次につなげたらいいのかに途方に暮れます。ああもうすぐ仕事。
12月17日のごはん
・鶏肉とにんにくの芽とじゃがいもの柚子胡椒炒め
・高野豆腐とベーコンの煮物
・キャベツと大根と油揚げの味噌汁

昨日のご飯。しばら柚子胡椒が続くかも。
あ、五万ヒットありがとうございます。

今日は何故か急に体調が悪く、ふらつきと異様なまでの眠気。
吐いてしまったので仕事を早退。何がいけなかったんだろう。先月もこんな事あったな…その時は感染性胃腸炎と言われたわけだけど。誰かが埋め合わせしないといけないので、申し訳ない。
帰ってきてから熟睡してしまう。明日は元気になってますように…。精神的な土台が弱いので、体くらいは強くあれと思う。
12月16日のごはん
・鶏肉と小松菜と油揚げの炒め物
・キャベツとベーコンの柚子胡椒和え
・大根と油揚げの味噌汁

初めて柚子胡椒を買ってみましたが、これははまりそうです。

12月10日のご飯

2006年12月10日 食べる
12月10日のご飯
・玄米ご飯カレー
・買ってきた白身魚の野菜あんかけ
・菜っ葉のおひたし
・レタスとマカロニ(何だこれ)

リクエストでカレーにしました。

12月4日のご飯

2006年12月4日 食べる
12月4日のご飯
・ひじき玄米ご飯
・鶏ひき肉とにんにくの芽とじゃがいもの炒め物
・キャベツとピーマンとツナの甘酢漬け
・豆腐と人参の味噌汁

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繭

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