6月3日の日記

2007年6月3日
短歌でもなんでもいいけど、人が何かに取り組む時、徐々にその作業の内に自分の特色が織り込まれていくようになる(意識的・無意識的を問わず)かと思う、という事を最近よく考える。もちろん作業の内容にもよるけど(作り手の個別性をまったく要しないものもあるから)。

基礎も何も身についていない下手くそながら短歌を作っていると、自分に詠めるものはどういう主題、主題という大げさな言い方をするのは勇気がいるけど、何が得意でなにを詠んでいきたいんだろう、とさぐってみると、ルサンチマン的な感情ばかりが前面に出てきて辟易する。あれ、進んだつもりで結局ここから大して抜け出せていないのかと思って。そういうものなんだろうか。仕事場にいる私は人並にそこにいるつもりだけど、日記なり何かを書こうとすると自分が歪んでいるのが意識されて、そこにずるずる絡めとられていく。

ご飯はぼちぼち作っている。今日は水餃子、昨日は確かひき肉とチンゲン菜の炒め物など。彼が実家からお土産で持ってきてくれた山くらげの惣菜が本当に美味しい。これはすごいぞ。なのに最近ちくちく喧嘩しれしまう。彼は昨日から勤めはじめた。私に関してはそんなに人に話したい事はない。何かと出かけてはいるけど一人ないしは二人で楽しめばそれでいい。それはある意味幸福なのだろうか。そうなのかもしれないがわからない。

コメント

繭

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索