梅を見る

2007年3月9日
梅を見る
自分が許されていない感じ、それは他ならぬ私自身が自分に塗り付けているものなのだろうが、その許されなさに片時も休まずじわじわ圧迫され続けているのも結局は私の勝手で、そういう一人相撲にたまーに潰れもするのだから困った人だ。夜中に痙攣したような呼吸困難に泣く、と改めて文字にするとそれがいやらしい感傷に汚染された、人の視線を意識した行為に感じられてならないのだけど、それでもまあ、その時々では真剣というか他意はないつもりなのだけど。と言い訳じみた説明なんかも含めて臆面も恥もなく書き散らせる分、私の辛さなんてものは本当のものではないねと思える。

どれだけあがこうが駄々をこねようが私という容れ物からは脱出できない事を痛感する時、そのことが私の場合死ぬという想像を(若干甘ったれたニュアンスも帯びて)安易にさせるのだけど、それに恒常的に憑りつかれるほどに死は非現実的なものにかわっていく。死ねばいいのにと己に投げつけるたびに死というものの切実な濃度が日常レベルよりもさらに薄まっていく。到底死ぬ様子の見られない、まるで狼少年のような…。容れ物を脱皮できたところで私が軽やかにするりと飛び立てるはずもなく、ただ辺り構わず暴発し噴出してハタ迷惑に中身を飛び散らせるだけだ、きっと。

現在からずっと遠いいつか、毎日の日付を無目的に書き付けては斜線で消すのを茫然と繰り返し、その合間に他人には意味のつかめない単語を不気味に躍らせる…そんな日記をつける日が来るのだろう。他人の生に圧迫されて、その全てを丸抱えにして生きるという強迫的な連想や感覚につながってしまうそんな私には、この種の仕事がはじめから出来るはずがなかった。ましてや子を産むなんて。

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そういう雑念にまみれたあくる朝は、北野天満宮へ梅を見に出かけた。6日の日は晴天のわりに寒かった。スカートを履いた日は大抵物凄く寒い、というよりは私がいつも天気を読み間違える。ピンクの花が好きだな。梅が慎ましくぽつぽつと咲いているくらいがこちらの調子を乱さない。夜桜はよくても昼間のぶわっと広がった桜は怖い。

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繭

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