赤目四十八瀧心中未遂
2006年11月10日 読書
ISBN:4167654016 文庫 車谷長吉 文藝春秋 ¥470
赤目四十八滝って実在するんだ、と気付いて再読したくなる。若干ミーハーなノリで申し訳ないけど一回行ってみたい。そして曽爾高原にも寄ってススキ野原を見たいのだけど、奈良と三重の県境というと結構遠いな。
独特の息詰る感じにびしびし打たれつつも、今回は以下の部分に身につまされるものを覚えた。
(…)山根が来たことは私に何かを感じさせた。折角新聞社へ入りながら、新聞社では花形の編輯局は端から希望せず、催し物の裏方をする部署を望んだような男である。山根に一貫しているのは、己れは暗がりに身をおいて、そこから、日の当る場所にじたばたする人たちを見て生きようという目差しである。同じ目差しで、その後の私を見に来たのだ。こちらが山根のいまについて尋ねても、このたびも「ま、そんなことはいいじゃないですか。」と笑うて、己れのことについてはかけらもしゃべらなかったのも、以前の通りだった。併し一つだけ違っていたことがあった。ただ単に私のいまのざまを見に来ただけではなかった。
山根は「池の底の月を笊で掬え。」と言いに来たのだ。が、それも、つまりそれだけのことだった。この言葉を私に告げることによって、山根が命を失うわけではなかった。そんな言葉が、私の骨身に沁みるわけがなかった。(略)山根が言うたのは、書くことによって私が命を落とすかも知れない言葉を書け、ということではあったのだろうが、併しそう言うことによって山根みずからが命を失うかも知れない言葉ではなかった。そういう謂では、口先だけの言葉であり、併しアヤちゃんの言葉はアヤちゃんの存在それ自体が発語した言葉であって、そうであって見れば私の中に残した衝撃の深さは、私の存在を刺し貫くものだった。
それを思うと、山根は小説を書けとかどうとか言うていたが、そう言われれば言われるほど、むッとするものがあった。誰が小説など書くものか、という反感が込み上げて来る。寧ろ私が小説を書くことに固執しているのは、山根自身の方ではないのか。しかし小説を書くなどということは、別に崇高なことでも何でもない。病死した牛や豚の臓物をさばくのと何変りがあろう。同じ一人の女を愛し、ともに失った二人の男。山根が四年もの間、私を捜して、訪ねて来たというのは、それはそのまま山根の喪失感の深さそのものではないのか。(…)
「池の底の月を笊で掬え。」については引用した部分よりも前に、「尤も小説を書くなんてことは、池の底の月を笊で掬うようなことですけどね。」という「山根」の言葉が出てくる。で、最近私はものごとを自分自身に都合よく引き寄せて消費ばかりしてしまうので、この箇所を読みながら、私は誰かの言葉を渇望する時の気持ちの裏に何かしらの不純な疚しさを自覚していたので、そのことに釘をさされたような心地がしたのだった。それで戒めのために書き写してみた。
会社勤めを唐突に辞め、流れに流れて尼崎の焼き鳥屋に身を寄せた「私」とその「ざまを見に」現れた当時の同僚「山根」とが、焼き鳥屋の女主人「セイ子ねえさん」を交えて話す場面も同じようにインパクトがありました。
**********
言葉だとか書くことだとか。
書くことの積み重ねによって私は、じめじめと惨めったらしい実際の私を、知らず知らずのうちに隠蔽しようとする過程の中にいるのだろうか、なんてことをふと考えてみた。そんな風に「書くこと」について改まって考えてみたりするのは、私には不慣れでそぐわない行いのように思われたりもして。
なんて、何だか大げさだなあ。
赤目四十八滝って実在するんだ、と気付いて再読したくなる。若干ミーハーなノリで申し訳ないけど一回行ってみたい。そして曽爾高原にも寄ってススキ野原を見たいのだけど、奈良と三重の県境というと結構遠いな。
独特の息詰る感じにびしびし打たれつつも、今回は以下の部分に身につまされるものを覚えた。
(…)山根が来たことは私に何かを感じさせた。折角新聞社へ入りながら、新聞社では花形の編輯局は端から希望せず、催し物の裏方をする部署を望んだような男である。山根に一貫しているのは、己れは暗がりに身をおいて、そこから、日の当る場所にじたばたする人たちを見て生きようという目差しである。同じ目差しで、その後の私を見に来たのだ。こちらが山根のいまについて尋ねても、このたびも「ま、そんなことはいいじゃないですか。」と笑うて、己れのことについてはかけらもしゃべらなかったのも、以前の通りだった。併し一つだけ違っていたことがあった。ただ単に私のいまのざまを見に来ただけではなかった。
山根は「池の底の月を笊で掬え。」と言いに来たのだ。が、それも、つまりそれだけのことだった。この言葉を私に告げることによって、山根が命を失うわけではなかった。そんな言葉が、私の骨身に沁みるわけがなかった。(略)山根が言うたのは、書くことによって私が命を落とすかも知れない言葉を書け、ということではあったのだろうが、併しそう言うことによって山根みずからが命を失うかも知れない言葉ではなかった。そういう謂では、口先だけの言葉であり、併しアヤちゃんの言葉はアヤちゃんの存在それ自体が発語した言葉であって、そうであって見れば私の中に残した衝撃の深さは、私の存在を刺し貫くものだった。
それを思うと、山根は小説を書けとかどうとか言うていたが、そう言われれば言われるほど、むッとするものがあった。誰が小説など書くものか、という反感が込み上げて来る。寧ろ私が小説を書くことに固執しているのは、山根自身の方ではないのか。しかし小説を書くなどということは、別に崇高なことでも何でもない。病死した牛や豚の臓物をさばくのと何変りがあろう。同じ一人の女を愛し、ともに失った二人の男。山根が四年もの間、私を捜して、訪ねて来たというのは、それはそのまま山根の喪失感の深さそのものではないのか。(…)
「池の底の月を笊で掬え。」については引用した部分よりも前に、「尤も小説を書くなんてことは、池の底の月を笊で掬うようなことですけどね。」という「山根」の言葉が出てくる。で、最近私はものごとを自分自身に都合よく引き寄せて消費ばかりしてしまうので、この箇所を読みながら、私は誰かの言葉を渇望する時の気持ちの裏に何かしらの不純な疚しさを自覚していたので、そのことに釘をさされたような心地がしたのだった。それで戒めのために書き写してみた。
会社勤めを唐突に辞め、流れに流れて尼崎の焼き鳥屋に身を寄せた「私」とその「ざまを見に」現れた当時の同僚「山根」とが、焼き鳥屋の女主人「セイ子ねえさん」を交えて話す場面も同じようにインパクトがありました。
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言葉だとか書くことだとか。
書くことの積み重ねによって私は、じめじめと惨めったらしい実際の私を、知らず知らずのうちに隠蔽しようとする過程の中にいるのだろうか、なんてことをふと考えてみた。そんな風に「書くこと」について改まって考えてみたりするのは、私には不慣れでそぐわない行いのように思われたりもして。
なんて、何だか大げさだなあ。
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