mothercoatというバンドのアングルという曲を視聴したら結構いい感じだった。
が、最近大抵のものに触れても昔ほどの感動が得られない事が気にかかっている。やっぱり十代の頃に触れた音楽や本って思い入れが特別なんだろうなあ。そんな事を思いながら、当時没頭した音楽や詩集を取り出して、文章越しにその頃の、些細な刺激にも過敏になれるやたら思いつめた表情を呼吸してみたり。私にとっての十代はそういう意味においてのみ充実した時代だったと思う。

時々頭の中が煮詰まると、私が突然失踪したら誰が捜すだろう?とやや反語的に想像してしまう傾向が以前からあって、私はそれに「悪癖」とラベリングすることでかろうじて周囲への申し訳としているつもりなのだけど、では仮に、本当に誰も捜さなかったという身も蓋もない結果が実際に露呈されたら?または反対に追ってきてくれる誰かの存在を認める事になったら?と続けて自問してみると、うーんと黙ってしまう。要はどちらにしろ、その結果または他者と向き合うという事を先延ばしにしてできるだけ避けたく思っている自分がいるという矛盾だ。どうしたいのだろう?しまいには、感傷的な少女趣味も結構ですが、ではそれは近しい人を信頼していないという事ですか?と諌める大人な部分が出現してきて、はじめの問いが何だか白々しく思えてくる。確かにその通りなのだけど、そういう事ではないのだ。そしてその白々しさが、切り離せない私の根っこなのだけど。

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今日も念のため職場には来ないようにとのことで休み。明日から復活。元気にはなったんだけど、私の調子がどうこうというよりは職業上しょうがないか。
夕方から府立図書館に出かけるが、移動手段にバスを選んだのが失敗だったのか、途中から修学旅行中の子供たちがわんさか乗ってくる乗ってくる。男の子の方なんかは粋がった風で騒ぐ騒ぐ。うんざりした。夕暮れ時の平安神宮は風情があってよかったが。借りた本を整理しようと鞄を置いたカウンターには何故かpaxil10mgと書いたアルミ箔のシートが転がっていた。
家では雑炊ばかり食している。

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繭

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