一晩たって思うのは、私はやはり色んな事に自信がないんだなあという事。
私にとって、気持がくじけた瞬間の記憶というのは残りやすいのだけど、認められているという雰囲気を欠片でも受信するのは難しいのかもしれないという。それどころか私は、余計な情報ばかり拾ってしまっている。
私は私自身の存在を初めからなかった事にしたい、という本音は普段の生活や時々の明るい気分などに紛れて底の方に沈んではいるが、それが何かの拍子で顔を出してきて厄介だ。生きて在る自分というのをきっぱり引き受ける事はまだできないのか。
自分は色んな軋轢を引き受ける掃き溜め的な存在であるべきだと、半分は意識的に気取ったポーズとして半分は本気の考えとしてそんないじけた態度をずっと昔の私はとっていた。
当時の私の事を思い返すと、感傷のにおいが何よりも先に鼻について嫌気がさすようになったけれど、気分が塞ぐとついそんな思考のなかにはまりこんでしまう。何があってもじっと我慢していろよととにかく言い聞かせている。
でも結局は感傷なのかなあ。そんな自分がかなり気持ち悪いなあ、とも気付いてはいるのだけど。大体、本当に引き受ける事を選ぶのならあとで色々こぼすのは潔くない。
自分では精一杯やっているつもりでも周囲から見ればどうなのだろう。と、決定権を全部周りにゆだねてしまうのが、良くないのか。
いつになってもうじうじがなおらなくて駄目だね。
ああもう、うだうだ言っているうちに11月。
私にとって、気持がくじけた瞬間の記憶というのは残りやすいのだけど、認められているという雰囲気を欠片でも受信するのは難しいのかもしれないという。それどころか私は、余計な情報ばかり拾ってしまっている。
私は私自身の存在を初めからなかった事にしたい、という本音は普段の生活や時々の明るい気分などに紛れて底の方に沈んではいるが、それが何かの拍子で顔を出してきて厄介だ。生きて在る自分というのをきっぱり引き受ける事はまだできないのか。
自分は色んな軋轢を引き受ける掃き溜め的な存在であるべきだと、半分は意識的に気取ったポーズとして半分は本気の考えとしてそんないじけた態度をずっと昔の私はとっていた。
当時の私の事を思い返すと、感傷のにおいが何よりも先に鼻について嫌気がさすようになったけれど、気分が塞ぐとついそんな思考のなかにはまりこんでしまう。何があってもじっと我慢していろよととにかく言い聞かせている。
でも結局は感傷なのかなあ。そんな自分がかなり気持ち悪いなあ、とも気付いてはいるのだけど。大体、本当に引き受ける事を選ぶのならあとで色々こぼすのは潔くない。
自分では精一杯やっているつもりでも周囲から見ればどうなのだろう。と、決定権を全部周りにゆだねてしまうのが、良くないのか。
いつになってもうじうじがなおらなくて駄目だね。
ああもう、うだうだ言っているうちに11月。
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