blackoutfallout
2006年9月6日 お仕事仕事行って帰ってきて思いだすのは福祉専攻の学生に紛れ込んで受講した老人福祉論などの講義の事で、その中では老いる事の力や豊かさについて熱心に語られていたのだけど(それは痴呆―「認知症」という言葉にはやはり賛同できないので―があったとしても/あってこそ)、ずっと胸に留めておいて折にふれて立ち戻らないといけない理想というものがある(という姿勢もそこには含まれているんだなと最終的には解釈した)事にはとてもうなづきつつも、先生がたの言葉が虚ろに響く瞬間もやはりある。語られていなかった事が(なにも蓋するようなものでもなかったと思うのだけど)あまりに多すぎた気がするのだ。
若い世代のやるべきことって、書物や理想に囲まれた学問の場と生身の人間を相手にする現場とをバランスよく折衷することだと思わされたりもする。
つまり、何で落ち込んでもやもやしているのかを手際よく言葉に置き換えられないので、寝ます。いくつかの場面が頭の中で重なって、できるものなら年はとりたくない、どうせなら徹底的に忘我の境地へ入りたいと何度目かわからないが強烈に思わされた。ひろい愛や寛容が足りないんだよな、要するに。頭で考えるだけじゃできないな。
若い世代のやるべきことって、書物や理想に囲まれた学問の場と生身の人間を相手にする現場とをバランスよく折衷することだと思わされたりもする。
つまり、何で落ち込んでもやもやしているのかを手際よく言葉に置き換えられないので、寝ます。いくつかの場面が頭の中で重なって、できるものなら年はとりたくない、どうせなら徹底的に忘我の境地へ入りたいと何度目かわからないが強烈に思わされた。ひろい愛や寛容が足りないんだよな、要するに。頭で考えるだけじゃできないな。
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