8/20昼→大豆のクリームシチュー、甘長とうがらしとちくわのかつお節和え
8/22昼→鶏肉ととうがんのしょうがスープ、甘長とうがらしのかつお節和え
今日の昼に作ったスープは鶏のだしがよく出ていてウマーだったので驚く。別に変わった事をした覚えはないのに今までの味と全然違うような…。ともあれ自画自賛するようですが美味しかったです。甘長とうがらしはししとうと同じ要領で、みりんと醤油とすりごまのタレで和えてかつお節を上に乗っけてみた。
**********
ところで今日はPlasticTreeのライブを見に大阪まで出かけたのだけど、ちょっとしたショックな出来事があった。
普段は地下鉄を併用するのに今日に限ってJR一本で行ってみようという気まぐれを起こし、私の気まぐれが原因で困った事態が起こるのはよくある事なのだけど今回も果たしてそうなり、降り口とライブ会場とはごく近くであるのにスムーズに辿りつけず迷ってうろうろし、その間にも開演時間は迫るばかりであせってしまい、そういうごたごたの間に彼からもらった指輪を失くしてしまい、気付く事もできなかった。それが高価なものではないにしろ申し訳なく悲しく思うのはもちろんの事なのだけど、私はもう一つおまけにその落とし物のその後に関する想像をつい連ねてしまう。
以前マスコット付きの(くまのプーさんでした)キーホルダーを落とした時もそうだったのだけど、落とし物が遠く離れたどこか駅の冷たいコンコースにぽつんと打ち捨てられ誰かの靴先にはじかれ、あるいは屋外で埃にまみれ冷たい雨に濡れて汚れて誰にも気付かれず…という想像が自動的になされるのは、私の中に根付いた「捨てる/捨てられる」という二つの立場が敏感に作動しやすいものであると共にそれが記憶の奥からややこしく惨めっぽいあれこれを引っ張り出してくる結果なのだと思う。誰かが拾って何らかの場所を与えてくれていますように、というひねり出された想像は私のために都合が良くて安堵のできるもので、どちらにせよ私はそういう過剰な感傷をさっきまでそこにあったはずのものに寄せてしまう。
そして私は薄情なので、感傷とは相手のためよりも結局は自分のためのものだろうし、近いうちに新しい指輪を与えられたなら思い出も感触もいつか更新され、古い感触なんかはすぐに日常の中に埋没して忘れられていくだろうこともわかっているのだけど。不思議と「(都合良く引っ張り出したものをこれまた都合良く)忘れる」という事には、「捨てる」と大した違いはないように思えるのにほとんど心が痛まなくてたやすいのだった。
明日にでもライブの感想を書きたいです。幕間にちょっと外に出た時に、一番後ろにいたロリータちゃんの足元に小さい踏み台をちらっと認めたのだけど、あれまさか持参?
8/22昼→鶏肉ととうがんのしょうがスープ、甘長とうがらしのかつお節和え
今日の昼に作ったスープは鶏のだしがよく出ていてウマーだったので驚く。別に変わった事をした覚えはないのに今までの味と全然違うような…。ともあれ自画自賛するようですが美味しかったです。甘長とうがらしはししとうと同じ要領で、みりんと醤油とすりごまのタレで和えてかつお節を上に乗っけてみた。
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ところで今日はPlasticTreeのライブを見に大阪まで出かけたのだけど、ちょっとしたショックな出来事があった。
普段は地下鉄を併用するのに今日に限ってJR一本で行ってみようという気まぐれを起こし、私の気まぐれが原因で困った事態が起こるのはよくある事なのだけど今回も果たしてそうなり、降り口とライブ会場とはごく近くであるのにスムーズに辿りつけず迷ってうろうろし、その間にも開演時間は迫るばかりであせってしまい、そういうごたごたの間に彼からもらった指輪を失くしてしまい、気付く事もできなかった。それが高価なものではないにしろ申し訳なく悲しく思うのはもちろんの事なのだけど、私はもう一つおまけにその落とし物のその後に関する想像をつい連ねてしまう。
以前マスコット付きの(くまのプーさんでした)キーホルダーを落とした時もそうだったのだけど、落とし物が遠く離れたどこか駅の冷たいコンコースにぽつんと打ち捨てられ誰かの靴先にはじかれ、あるいは屋外で埃にまみれ冷たい雨に濡れて汚れて誰にも気付かれず…という想像が自動的になされるのは、私の中に根付いた「捨てる/捨てられる」という二つの立場が敏感に作動しやすいものであると共にそれが記憶の奥からややこしく惨めっぽいあれこれを引っ張り出してくる結果なのだと思う。誰かが拾って何らかの場所を与えてくれていますように、というひねり出された想像は私のために都合が良くて安堵のできるもので、どちらにせよ私はそういう過剰な感傷をさっきまでそこにあったはずのものに寄せてしまう。
そして私は薄情なので、感傷とは相手のためよりも結局は自分のためのものだろうし、近いうちに新しい指輪を与えられたなら思い出も感触もいつか更新され、古い感触なんかはすぐに日常の中に埋没して忘れられていくだろうこともわかっているのだけど。不思議と「(都合良く引っ張り出したものをこれまた都合良く)忘れる」という事には、「捨てる」と大した違いはないように思えるのにほとんど心が痛まなくてたやすいのだった。
明日にでもライブの感想を書きたいです。幕間にちょっと外に出た時に、一番後ろにいたロリータちゃんの足元に小さい踏み台をちらっと認めたのだけど、あれまさか持参?
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