ニタさんというお婆さんは忘我の境地にいるような人。悟りと言ってもいいかもしれない。俗世の欲から解き放たれたみたいに脂の抜け落ちた表情で、何にもこだわりを持たないがただ一つだけ、ゆっくり廊下を往復することが、ほとんどライフワークと化しているほどニタさんという人の一部となっている。
目的があるようでもなく、自分の中の「自然で心地良い」在り方が、歩くという形となって表れているのだと思う。黙々と純粋な歩みを歩むその足がどこの時代のどの土地を、時間を踏みしめているのかは窺い知れないけど、こちらの呼び声に少し歩みを止めて独特のビブラートの効いた声で「ああ〜あんたか〜?」と短い返事でこたえてくれ、またすぐ歩き出す姿から醸し出されるとぼけた雰囲気に癒される。年取ってあそこまでに達する事ができている人はあまり見当たらない。将来ボケボケにボケてしまったとしても、私や先輩がニタさんに感じるのと同じように、周りから「あんな風になれるならいいねえ」と微笑んでもらえるような、無心で可愛いボケかたができるならいいですねと思う。ま、無理そうだけど(すっごいいじわるヒステリックばばあになりそうだ)。

と書いて、また前に書いた事を蒸し返すようだけど、認知症と言う新語を便宜上ではなく心から支持する方々は「ボケる」という言い方を併用しておられるのか(併用するなら矛盾には当たらないのか、だって「呆ける」という字)、というよりもどんな言い替えによってあのある種のダイナミズムや生々しさ(うつくしい/いとわしいものとしての)を内包することが可能なのかが気になりますが、私もしつこいですねどうも。すみません。敬意を払っていますということの端的な表し方としては有効で簡単なのかもねと思ってみたり。

だけどこんな気持ち悪い事を考えながら仕事しているのも私ぐらいなものだろうな。明日もせっせと仕事に励みます。職場は当然涼しくしてありますが動いているうちに尋常じゃない汗をかきます。何か最後に書きたい事があったはずだけど、今こうしてここに差し掛かる頃には忘れてしまったみたい。

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繭

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