ISBN:4163248501 単行本 絲山秋子 文藝春秋 2006/02/23 ¥1,000
例えば表題作に「福岡に慣れてくると、だんだん学生時代の友達とは話が合わなくなって来ました。電話で話を聞いていても、東京しか知らないくせに、とか、現場を知らないくせに、とかそんなことに自分がこだわってしまうのです。学生のときに一緒に感じていたものって、なんだったんだろう、考えてもあまり思い出せなくなりました。」というある種薄情とも言える感情が描かれているのは、すんなり受け止められる。のだけど併録「勤労感謝の日」が一貫してそれと似たような、ドライでさばさばさばしているのと(はっきり言って)冷淡で性格が悪いのとが紙一重、みたいな性格を強く持つ者として主人公が設定されている必然性が、あまりよくわからない。「まあいい、長谷川さんに救われはしたが、長谷川さんのための人生ではないのだ。」という開き直りなんて、人の本性がずばっと切り取られているとも受け取れるが、むやみやたらと切り取ればそれで人間への観察眼が優れているということには、なる気はするがなんか違うよねそれって、と思う。
それでいてラストでは、そういう気質に対してどちらかと言うと肯定的な(ほとんど自己を省みない主人公なので何とも言えないが、少なくとも否定的ではない)ニュアンスを滲ませた終わり方で、ヒリヒリする毎日の中のちょっと安らぐ瞬間、みたいな感じをさらっと書いているのだろうか、それにも更にうーんって感じ。あ、そうか、このすまし顔のラストが気に食わないのか。
「勤労感謝の日」は後にまわして読んで、読了直後はそっちの方が読み応えはあった気がしたが、冷静に考えると表題作の方がいい。同期入社した男女の、「友情」「愛情」など名前のついたどんな関係性もやんわり拒むような微妙な距離感が。でも芥川賞かー…と思うと…(私のイメージするほどの権威は今ではもうないのかもしれないけど)それに見合った物語としての厚みはあるとは思えない。一時間で両方読了できたのに驚き。個人的な好みとそのものの価値の有無とを結びつけるのは暴力的で軽薄だと反省しつつも、アマゾンレビューを見ると「勤労感謝の日」みたいな作風が多い様子なので、もう一冊読むことはないだろうなという印象だった。
例えば表題作に「福岡に慣れてくると、だんだん学生時代の友達とは話が合わなくなって来ました。電話で話を聞いていても、東京しか知らないくせに、とか、現場を知らないくせに、とかそんなことに自分がこだわってしまうのです。学生のときに一緒に感じていたものって、なんだったんだろう、考えてもあまり思い出せなくなりました。」というある種薄情とも言える感情が描かれているのは、すんなり受け止められる。のだけど併録「勤労感謝の日」が一貫してそれと似たような、ドライでさばさばさばしているのと(はっきり言って)冷淡で性格が悪いのとが紙一重、みたいな性格を強く持つ者として主人公が設定されている必然性が、あまりよくわからない。「まあいい、長谷川さんに救われはしたが、長谷川さんのための人生ではないのだ。」という開き直りなんて、人の本性がずばっと切り取られているとも受け取れるが、むやみやたらと切り取ればそれで人間への観察眼が優れているということには、なる気はするがなんか違うよねそれって、と思う。
それでいてラストでは、そういう気質に対してどちらかと言うと肯定的な(ほとんど自己を省みない主人公なので何とも言えないが、少なくとも否定的ではない)ニュアンスを滲ませた終わり方で、ヒリヒリする毎日の中のちょっと安らぐ瞬間、みたいな感じをさらっと書いているのだろうか、それにも更にうーんって感じ。あ、そうか、このすまし顔のラストが気に食わないのか。
「勤労感謝の日」は後にまわして読んで、読了直後はそっちの方が読み応えはあった気がしたが、冷静に考えると表題作の方がいい。同期入社した男女の、「友情」「愛情」など名前のついたどんな関係性もやんわり拒むような微妙な距離感が。でも芥川賞かー…と思うと…(私のイメージするほどの権威は今ではもうないのかもしれないけど)それに見合った物語としての厚みはあるとは思えない。一時間で両方読了できたのに驚き。個人的な好みとそのものの価値の有無とを結びつけるのは暴力的で軽薄だと反省しつつも、アマゾンレビューを見ると「勤労感謝の日」みたいな作風が多い様子なので、もう一冊読むことはないだろうなという印象だった。
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