5月28日の昼ごはん
スパゲティミートソースと、マカロニとしめじのサラダ(イタリアンドレッシングであえた)を作る。
「スパゲティ」と「スパゲッティー」、どちらが正しいんでしょう。私は後者だと思っていたけど、オレンジページのサイトで検索すると「スパゲティ」が圧倒的多数なので、そうだったか…と今更気付いて、早速正しい呼び方をすることに決める。ともあれ、このところ昼ごはんにスパゲティをよく作るのだけど、いつの間にかフォークが行方不明になっていた。かわりに箸で食べているけどこれが食べにくいったら。
自炊をすれば肌年齢が若返ると昨日何かの番組でちらっと耳にしたけど、そうかもしれないなあと納得。

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何気なく過去の日記を読み返す。どうも全体的に、怒りや落ち込みなどのネガティブな感情に満たされている日の日記は他と比べて文章に変化があるような気がする。あくまで自分から見ての話だけど。
それは恐らく、自分のこころを執拗なまでに追い回して点検し、もし自己弁護しようとする自分がこっそり隠れていればそれが僅かであっても文章に置き換えて晒し、というのが私の日常であったためではないか。そういう一連の行為によって自分が改善されたかと言えばイエスでもありノーでもあるけど、ともかく自分の内側にひたすら潜ってみればそこにあるのはほとんどが鬱屈してじめじめした気持ちで、それを(時に多少自虐趣味混じりに)明らかにすることで私は潔癖ですと胸を張れる気がして安堵できた。
外とのつながりを漠然と欲しながらもそれがどういうことかを具体的建設的に想像することは思いもよらず、自分が「閉じて」いることに何の疑いも持たなかったのが、ネガティブな言葉の中で生きていた以前の私だ。

つまり、これからはきっと私の感じる幸せやあたたかさをしっくりくる言葉に置き換えることにも徐々に慣れていくのだろうなあという予感がする、ということを書きたかっただけなのでした。それを言うために思いがけず前置きのほうが長くなってしまった。
そしてまた、だからと言って今まで積み重ねてきた体験や記録が無意味であったということにはならない(と思いたい)。負のオーラにおおわれていたとしても、それはそれで何かであるはずだと、よくある楽天的人生論みたいなものとはまた違うフラットさで(これが上手く説明できないけど)そう思う。気負わずそういうことができるようになればいい。

そしてもっと(少しでも)シンプルな言葉を持つことが目標。

コメント

nophoto
はな
2006年5月31日6:55

繭さんの文章いいですねー。好きです。とても素直で。

>積み重ねてきた体験や記録が無意味であったということにはならない(と思いたい)。負のオーラにおおわれていたとしても、それはそれで何かであるはずだと..

そうですねー。私もそう思いたいです。正当化しているとかいうわけではなくて。きっと、何かあるはず。

繭
2006年6月1日0:54

はじめまして。過去の日記も読んでくださったんですね。色々とコメントくださりどうも有り難うございます。

ところで、海外にお住まいなんですね。Plastic Treeといえば今年海外ツアーが決定しているみたいですし、観に行ける所にお住まいなら羨ましいです。どんなMCをするのかが気になります。

それでは、また覗きに来て下さいね(^^)v
繭

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