ISBN:4896917022 新書 洋泉社 2003/02 ¥756

精神病院や児童相談所に勤務経験のある滝川氏と、養護教諭をされていた佐藤氏との、インタビュー集のような対談集。

まず、何かあればすぐに精神科医や専門家に問題を預けてしまうのではなく、自分達に身近な問題をそれぞれが共有する事の意味と、現在ではそういう基盤が薄れている事とが冒頭に挙げられている。それを批判するのは容易だろうが、ここでは「ではどうすればいいか?」が建設的かつ現実的に語られていて、その姿勢に好感を持てた。安直な懐古主義に流れたり高みの見物的な批判の姿勢を取らずに、専門用語やイデオロギーに流れずあくまでも普通の言葉で語るというのは、佐藤氏の『ハンディキャップ論』を読んだ時にも感じた事だが、そのようにじっくりとフラットな視点で対話を進めるように努めるというのは本書全体を通じて保たれている姿勢である。

例えば「診断名」や「障害名」の中に人間がいるわけではない、という指摘にはなるほどと思わされたもののそれだけなら色々な人が言っている事でもある。この本ではその辺の事について、具体的な例を挙げるなどしているおかげで非常に読み応えがあって面白い。それは著者のお二人が、普段から「その人全体を見る」という姿勢を心がけているからなのではないかと推測する。
また「早期ケアのあり方」のところで、「『名前』がつかないと、すなわち診断がつかないとケアや支援が始まらないというのは非合理」と滝川氏は言っている。自閉症や発達遅滞という「診断名」を先に両親提示して「さあどうしますか」というのではなく、「人への興味を寄せてかかわろうというこころの伸びがやや遅い子かもしれないから、個人差があるからまだわからないものの、もう少し意識的に関わる工夫をしていきませんか」といったように提案するという事だ。乳幼児健診などで実際にどのようなやり取りがあるのかは知らないのだけど、自分から遠いものに感じる専門用語でではなくこのようにこちら側に引き寄せて物事を実感できる言葉のかけ方というのは、こちらにしてみても安心できるものだ。
また「虐待」という言葉の持つどぎつさや一方的な責めというような感じについてや、「虐待防止キャンペーン」が社会をよくするものではなく、結局は互いを監視し当の本人を過剰に追い詰めるものでしかないのでは、といった指摘にも頷けた。やはり一緒に考えられる、共有できるための地平をひらくという態度があれば、社会での息苦しさをいくらかは和らげられるのでは…と切に思わされた。
    
「先入観や固定観念なしに『素手』でかかわるよさ」と「専門的な経験や知識」のどちらに極端に傾くでもなく、中間を進もうとされているようで、これまでの地道な実践ありきの中身の濃い対談となっていると思う。
タイトルの与える印象とは異なり、決してセンセーショナルで無責任的に「面白い」内容ではないから、もっと良いタイトルはなかったのか、という点が少し残念。個人的には前著の『「こころ」はどこで〜』よりも面白かった。

コメント

繭

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索