ISBN:4167557010 文庫 小川 洋子 文芸春秋 1994/02 ¥420

恐らく妹のつけている日記なのだろう。出産を控えた姉とその妹、姉の夫による、出産までの記録である。

姉は元々神経質で、約十年間に渡って精神科医の所に通っているが、妊娠の為にそれがよりいっそう激しくなっている。匂い全てに異常に敏感になり、苦しがって泣き始める。ものが一切食べられなくなる。その時期が終わると今度はひたすらに食欲が増し、「食べる」というよりも、食べ物を休み無く「補充する」というのに近い行為を繰り返す。土砂降りの夜に、急に枇杷のシャーベットが食べたいと訴えだしたりする。
妹と、姉の夫の二人はその姉の要求にただ付き合う。弱々しい印象のある夫は、雨の中シャーベットを探しに出かける。特に妹はとにかく姉の神経質さに反抗しない。泣いている姉を慰め、化粧品や石鹸等の匂いのあるものは残らず姉から遠ざける。キッチンを使う事をやめ、庭で食事をとる事にする。一転して食欲を回復させた姉の為に、空っぽ同然のキッチンストッカーから、どうにか食べられそうな物を見つけようとする。

しかし、その妹の行為から、ほっと安らぐような優しさや温かさを感じとれないのは何故だろう。そういえばこの物語自体、妊娠を通じて心に感じられる喜びや決意や責任感、困難だけれど胸を震わせるような期待感等で埋め尽くされてはいない。(そういう話だと思っていたので今まで手に取らなかったのだが)むしろそういうものは全く描かれていないに等しい。
姉を通じて妊娠の経過を知る妹も、その当事者である姉も(取り乱しはするが)どこか冷静だ。「おめでとう」の言葉に辞書をひき「それ自体には、何の意味もないのね」とつぶやき、赤ん坊を「染色体」としてしか認識できない妹や、産まれてくる子供がもしも指がくっついていたりシャム双生児だったりしたならと恐ろしい想像を、しかも普段の他愛もない話をするのと同じように、次々に口にする姉の様子を見ると、妊娠とは実態の掴めない、ぐにゃぐにゃ変形する、未知の巨大な生き物のように思えてしまう。五ヶ月目のお祝いの日にも、盛り上がっているのは夫の両親だけで、当の三人だけが実感から隔離され、周りを取り囲む人々の笑顔を、まるで硝子一枚隔てて眺めているかのような、互いの感情の呼応しなさを感じる。

子を持つ事が、即喜びばかりでない事は私にも解るが、しかしこの状況にはそれ以前のものを感じるのだ。真っ白で柔らかな産着や笑顔、新しい命というものよりは、白く冷たい病院のタイルや手術道具等の方が何だかしっくりくる。

妹は、日に日に食欲を増幅させる姉の為に、大量のアメリカ産グレープフルーツでジャムを作る。妹の頭の中では、そのグレープフルーツには防かび剤PWHが使われており、染色体をも破壊するという警告の記事と、目の前のジャムの鍋と、姉のおなかの中の子供の事とが結びつく。そうと知りながら姉にジャムを作りつづける妹の行為は、呪いをかけている姿を連想させた。しかし「呪い」などという、強烈で濃い感情を伴うものに例えるのは誤解を招く事かもしれない。そういう毒々しい感情が露わにされているわけではないからだ。姉の体内でPWHは着々と堆積していく。しかしそれはきっと目にはっきり見える変化としては現れてこない程度であるだろう。その微かな破壊を知っているのは妹だけだし、その進行状況は恐らく赤ん坊や姉よりも、妹の頭の中で明瞭な映像として膨れ上がっていくものだろう。ささやかな侵蝕は、実体は伴わないものの、むしろ妹の中で進行していくものかもしれない。(2002.3.14)

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繭

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