遭難/東京事変

2004年11月24日 音楽
CD 東芝EMI 2004/10/20 ¥1,200

もうアルバム出てるんだ、と思いながらようやく借りたばかりの「遭難」を聴いている。
東京事変というバンドとして、ではなく椎名林檎と地続きのものという意識があって、ボーカルに集中するあまりトータルで聴く事がなかなかできないでいる。椎名林檎は美しいと思う。それは単に容姿の事を言っているのではもちろんなくて、たたずまいや隙のなさや過剰な所などを色々と含めた意味でそう感じる。良い意味と悪い意味とをひっくるめた意味での「美しい」という思いが聴く度にわいてきて、その辺をうまく整理して客観的な言葉にできないのが申し訳ないけど。ひっかかりを覚えながら何度も聴いては深みにはまっていく感じ。

ところで東京事変は日本的なものを前面に押し出しているように見えるが、日本的なものが古めかしい言い回しや漢字のみを指すとは思えない自分としては、雰囲気的にいいな、かっこいいなとは感じても心酔まではできないでいる。

----------------------------------------

たびたび考える事だけど、以前の自分は自分の味方をしてくれるか・敵になりうるかという基準のみに偏って周囲の人を判断していた所がある。そのため世の中は辛いものに満ちていると思いつめていたんではないかと思うのだ。今はそういう窮屈で不安定な価値に、以前よりは縛られないようになったので随分楽になったように思う。周囲の数人の知り合いや友人のお陰で人への興味や希望をつなげているので、それは感謝したいし信じたい、そして甘んじてはいけないと思う。そう思えるようになれただけでも地元を出た甲斐は凄くあったと感じる。

しかしそのような変化はあっても、私は興味のない人達には冷たくそっけなく、好きな人達に対しても一欠けらの冷たさをもって見つめる姿勢をなくせないでいる。もちろんあからさまには態度に出さないにしろ、滲み出るものはあるはずで、自分は根本的に冷たい人間なのかもしれないとようやく認めつつある。そういう点のために、自分が周囲に比べて不完全であるように感じて、なんでこうなんだ…と後ろめたさを覚える。
手放しで愛情を注げるようになれるにはまだまだ時間がかかるのかもしれないな、と思う。そうなれるには、あまりにたくさんの事が私には足りないのだと。

コメント

繭

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索