11月3日の日記

2004年11月3日
タワレコライブの話を彼氏にしたら、タワレコ自体を知らなかったのでその説明にしばしの時を費やす。
昔の自分ならここでやかましくわめいていたところだったろう。周囲の人に対して、自分の興味や嗜好を共有できる事を第一条件として求めていたからだ(そしてそれは微塵も果たされる事はなかったけど)。
今に至るまでに自分の中の基準やその独りよがりな傾向は徐々に修正され、自分の知ってる事を相手も知っていて尚且つ興味を示してくれるなんて思うなよ、と戒めている。でも今回はかなり衝撃を受けた、というかしょんぼりした。そういえば趣味嗜好やある物事への興味の有無がほとんど重ならず、別にそれは重視しないつもりではいたが、でも多少は物足りない。普段何かについて語り合う事も大してないしなあと改めて思う。まあお互い様なんだろうな。

彼氏曰く、相当の田舎育ちだから情報も入ってこないのではないかということで、それには多少納得させられたと同時に、田舎暮らしの自分なりの意味について思った。
私も中途半端に田舎な場所に住んでいたせいでよく考える事ではあるが、田舎の不便さが私には向いていなかった。中心地から遠く、電車賃にしても高くて本数自体ないから、何かが欲しくても買い物に出かける事が一苦労。文化という言葉をやたら振りかざすのは物凄く軽薄で嫌なもので、逆にそうしたものに踊らされない生活を賢いものだと思ったりもするが、そうは言っても私はやはり若い頃は本、音楽、舞台など多くのものに触れられる生活がしたかった。

高校生の頃は都会というものへの憧れが強く、手に入らない分のせめてもの埋め合わせとしてファッション誌をたくさん買っていた。その度自分の環境につまらなさを覚えたが、それでもこの頃の我慢するという体験は私には貴重だったように思う。
自転車を走らせれば自分のある程度納得のいく買い物ができる距離に住んでいる今をありがたく思えるが、だからこそ情報やモノが容易に手に入らない環境に一度は置かれる事は意味のある事だと思えたりする。

ところでこの日四条のタワレコに実際に連れて行ってみたが、大した感慨も感想もなかったみたいだった。そりゃそうだな。無理に押し付けるのは良くないな。

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繭

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