幼少期の間引きされかける経験、それゆえの自分を脅かし責めたてる存在としての故郷というイメージ、過去の恋人の自殺
それらの経験により自分自身や恋人について罪意識を根深く抱え込んでいる五十代の男と、その家族とを中心にした物語
贖罪の必要性が男によって徹底して語られる。しかし男に起こった出来事の内容を検討すると、男は一方的に罪を償うべき人間ではなく、同時に救いをも必要としていい人間であるという視点を欠かしてはいけない、という事を思った。
男は最終章で、自分に愛情を注ぐ母親、自分を受け容れるものとしての故郷、というもう一つの故郷像を獲得する。娘達との和解にしても、私はこの結末に不自然さを感じずにはいられなかった。とても唐突に見え説得力に欠けるのと、いくらか都合よくできすぎている感じがぬぐえなかったからだ。母親像や故郷像にしてもそれは男が急に思い出したものであり、男自身も語っているとおり確証の持てるものではないと判断できる。
しかしそれでもいいのではないか。自身の記憶を偽ってでも幸福で愛されていた自分というイメージを得たいという思いにすがるのは、厳格な見方をするのであればずるいとも言えるのかもしれないが、責めるべきものではないと思いたい。だから、都合の良さと同時に、人間の存在に温かい眼差しをできるだけ注ぎたいと思わされ、両者が交互に行き交う読後感だった。
過去の論文を読んで思ったが、贖罪のみに潔癖なまでに徹するべきだといい、少しでも甘えを見せれば冷たくはねのけるというのは、それを無関係な他者が言う時にはひどく無責任なものになると私は思う。
卒論を書くとその人のこだわりが出ると先生に言われ、できるだけ投影などせずに恣意的になるのも避けようと思って進めているけど、やっぱり何かは出るなと。
それらの経験により自分自身や恋人について罪意識を根深く抱え込んでいる五十代の男と、その家族とを中心にした物語
贖罪の必要性が男によって徹底して語られる。しかし男に起こった出来事の内容を検討すると、男は一方的に罪を償うべき人間ではなく、同時に救いをも必要としていい人間であるという視点を欠かしてはいけない、という事を思った。
男は最終章で、自分に愛情を注ぐ母親、自分を受け容れるものとしての故郷、というもう一つの故郷像を獲得する。娘達との和解にしても、私はこの結末に不自然さを感じずにはいられなかった。とても唐突に見え説得力に欠けるのと、いくらか都合よくできすぎている感じがぬぐえなかったからだ。母親像や故郷像にしてもそれは男が急に思い出したものであり、男自身も語っているとおり確証の持てるものではないと判断できる。
しかしそれでもいいのではないか。自身の記憶を偽ってでも幸福で愛されていた自分というイメージを得たいという思いにすがるのは、厳格な見方をするのであればずるいとも言えるのかもしれないが、責めるべきものではないと思いたい。だから、都合の良さと同時に、人間の存在に温かい眼差しをできるだけ注ぎたいと思わされ、両者が交互に行き交う読後感だった。
過去の論文を読んで思ったが、贖罪のみに潔癖なまでに徹するべきだといい、少しでも甘えを見せれば冷たくはねのけるというのは、それを無関係な他者が言う時にはひどく無責任なものになると私は思う。
卒論を書くとその人のこだわりが出ると先生に言われ、できるだけ投影などせずに恣意的になるのも避けようと思って進めているけど、やっぱり何かは出るなと。
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