ライブが良すぎてシロップしか聴けない状態。
アートスクールの他作品を急に聴いてみようと思ったが(シャーロット.e.p.が良いのか悪いのかピンとこなかったので)近所の中古CD屋では売り切れだっただけに余計。前見た時はいっぱいあったのにー。
チケットを引き換えに行ったら予想通り割と前。でもモッシュゾーンに当たっても辛い少し下がって見るだろうな…女ばかりなら倒れずにいけそうだけど、流石に男相手だと負けるわな。何よりシロップのライブで暴れる気になれない。

ほぼ力技でレポート一つ完成さす。だらだらやっていたのだが、ここらで区切りをつけないと、いい加減後がつかえているよと思い焦った。久々に集中力を発揮した。でもレポートの出来は問わないで。

先日ある番組を見ていて気付いたが、私は人間が何かを取り戻していく物語に弱い。どちらかというと精神的なものに関する物語が。見ていて普通に感動して目頭が熱くなった。
ずるずる駄目になっていく、プラスもマイナスさえも何も出てこないほどに荒廃して行く、そういうのを見るのもこちらに痛烈に訴えかけてくるものはあるが、そういうものよりも心の奥が揺さぶられる思いがする。
そして考えが改められるというか、元の地点に戻されるような感じがする。本当はそうありたいんだったと。

それに自分を重ねるのは、必死の思いで日々暮らしているその人達からすれば失礼で不愉快で自己完結的なものであると思う。こちらのは単に自意識過剰の産物であるから。それでもその番組には何か思う所はあったのだ。

悩む事すら放棄していた時期がしばらく続き、たまに悩んで幾らか真剣に取り組んでみはしても、このまま行こうと立て直せなくともどうでもいい、仕方ないんだという調子が多くを占めていた。
どうでもよくなったら終わりだなと痛感したが、何を見ても自分の心や思考が微塵も反応しない、取り立てて言いたい事もない、出力ゼロ。自分の心の表層部しか使わず生きているなという何か決定的に間違った感じだけが漠然とあった。
未必の故意ではないが、それを知りながら何もしない、そうしている内にも状況は水面下でじわじわ悪化しているのではないか、そんな危機感をうっすら抱いていた。でも立て直す気になれない。
対人関係にしても、目の前の人と交流する気も起きず、相手に興味を持つ事やこちらを知ってもらおうとする事の可能性を自ら絶っていた気がする。勝手に失望した挙句一人で諦めモードに入りどんどん閉ざしていくような、でもそれもどうしようもないよなと考えていた。
他人が全部ひと塊の背景に見えるような、繋がりを求める気も起きなかった。起きたとしてもどうしていったらいいのかわからなかった。

最近その出力がゼロから再び僅かにプラスに動き出したように思う。またゼロに戻るかもしれないけど、そういうわけにもいかないので維持したい。できたら。
周囲に対しても、こちらから歩み寄ってみて駄目だったら仕方ないと思う方がいいかもな…と。実際怖さの方が勝ってるんですが。だから初めから内にこもってた方がいいんじゃないの?とも考えてしまうわけですが。警戒心が物凄い。生活上、表面的な会話だけでも案外事足りるらしいし。でも本当はそれじゃ嫌なんだよな。

私は人の力を借りたいと思って良いのだろうか。何かを求めてまともに返事が返ってきたためしがない、何も努力せず人の優しさだとか受容だとかを期待するのは一方的で身勝手だ、と思う。しかし結局本心では期待したくなる。何らかの繋がりが欲しいと思う。
その方法を探したい。

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繭

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