群がる

2007年1月16日
数日前からニュースで槍玉に挙げられている、消費期限切れの材料を使用していた某洋菓子チェーン店の事で何かしら人事でないものを覚えるのは、学生時代にそこでアルバイトをしていた経験があるからという理由がまずあるのは確か。ごく薄いなりの身内意識がこの手のニュースにはじめて私を引っかからせたわけではないにしろ、もやもやと沈殿し続けていた違和感を形にさせる契機にはなった気はする。ともかく思うのは、街角インタビューなどで呟かれるお決まりの「信頼していたのに」という(私にとっては)無神経な台詞は、「信頼」という積極的な意味合いの言葉に引っかかるから、「漫然と大丈夫だと思っていた」くらいに言い直すべきだなあというわずかな苛立ちと、それに続く「ずさん」というお決まりの形容のされかたのくだらなさ。
受け手も発信する側も退屈していて、少しでもセンセーショナルな、少しでも強度の衝撃を求めているんだろうなと、これらのニュースを受け取る時私はいつも邪推してしまう。ターゲットを見つければすばやく食いついて離さずにしばらくは攻撃の手をゆるめないだろうし(そのかわり離す時はあっさり離すから残酷だなあと思う)。今回のニュースだと材料を捨てるなと言う圧力が内部ではあったとのことで、それが余らないような発注のシステムを見直すべきだったんだろうなとは思うが、そんな解決策やらは報道に群れる彼らにはどうでも良いのだ、多分。ともかくは一にも二にも非難さえすればいいと思っているのだろうか?

嬉々として(いや、もはや嬉々ともしないで)それらを器用に捌けるキャスターや司会者達とも、脊髄反射的に「許せませんね!」「もう何も安心して食べられない・利用できないですよ!」と反応を繰り返す人達とも、何かを共有して生きていけるかは私は自信がない。ニュースがあればそこに人の感情や視点がくっついてくるのは当然の事で、そこでマスコミの取るべき作法というのは、せいぜい正義面していたずらに視聴者を煽らないくらいの節度を保つ事なんじゃないのかな。と思いますけど。マスコミが世の中にもたらす益ってどれほどなんだろう。そしてこうやって偉そうにものを言う私こそ、今後自分が同じように踊らされないための節度は必要なのだけど。そんな事をニュースを受け取るたびに考えてしまう。

当時のバイト仲間とは割と仲がいいので今回の件についてメールしようかと思ったけれど、バイト先の店長を良くなく思っている子ばかりだったから、反応を見るのが怖くてやめた。

それとは関係ないけど、ずっと前にアパートの雑誌置き場で拾ってきた『海辺のカフカ』にやっと手をつけたのだけど…なんかツッコミどころが多くてすごい。春樹は決して好きな作家の部類には入らないけど、引っ掛かりを覚える小説は読みがいがあるので読書の最中もさほど嫌ではないです。で、これはやっぱりファンタジーなのですよね?

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繭

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