泥のように
2006年4月27日昨日の新しい病院についてはまずまずといった印象。ただ待合室で娘に説教している母親という親子がいて、絶え間なく声が耳に注ぎ込まれて具合が悪くなりそうだった。
「だからあんたの病気は治らないんや」
「お母さんいつも言ってるやろ?」
と延々。そんなに責めるなよ…と辛くなる。私も実家を出ずにいたら似たような親子になっていたかもしれないだけに。他の人は母親に一瞥くれて外に出て行ったり席を遠くに移動したり、嫌な雰囲気であった。
「どのような状態ですか」「それはいつからですか」と尋ねられると、いつからだろう…?と言葉につまる。この時期からという厳密かつ明確な線引きをしようとすると、歳月をずーっと遡らないといけないから。
だから、ある程度までの浮き沈みは病気ではなく自分の一部として受け止めているのだけど、それって正しいのだろうか?前の病院でそれを話すと一蹴されたという事情もあるので自信がない。
仕事に関しては配慮していただき、感謝しきり。だけど不安や後ろめたさもたくさんある。電話越しに上司の話を聞いていると、「次」「この先」を期待した上で現在のゆるい勤務が許されているようで。
今日は朝から風邪の時のような眩暈があって、変な感じ。ひたすら横になって過ごしているのがよくない気もする。でもどんどん動くのが億劫になってきていて、思考は重たい泥の中にひたされているような感じ。自由に動かない。
「だからあんたの病気は治らないんや」
「お母さんいつも言ってるやろ?」
と延々。そんなに責めるなよ…と辛くなる。私も実家を出ずにいたら似たような親子になっていたかもしれないだけに。他の人は母親に一瞥くれて外に出て行ったり席を遠くに移動したり、嫌な雰囲気であった。
「どのような状態ですか」「それはいつからですか」と尋ねられると、いつからだろう…?と言葉につまる。この時期からという厳密かつ明確な線引きをしようとすると、歳月をずーっと遡らないといけないから。
だから、ある程度までの浮き沈みは病気ではなく自分の一部として受け止めているのだけど、それって正しいのだろうか?前の病院でそれを話すと一蹴されたという事情もあるので自信がない。
仕事に関しては配慮していただき、感謝しきり。だけど不安や後ろめたさもたくさんある。電話越しに上司の話を聞いていると、「次」「この先」を期待した上で現在のゆるい勤務が許されているようで。
今日は朝から風邪の時のような眩暈があって、変な感じ。ひたすら横になって過ごしているのがよくない気もする。でもどんどん動くのが億劫になってきていて、思考は重たい泥の中にひたされているような感じ。自由に動かない。
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