CD インディペンデントレーベル 1999/12/12 ¥3,150

今になって客観的に聴いてみても、完成された一つの世界があるのは断言できるように思うのだけど、こればっかりにのめりこむ青春期ってどうなの…と自身を振り返る(確か高校生の頃に主に聴いた)。決して健康的ではないな。この手の音楽は一歩引いてではなくがっつり耽溺してみてこそ聴く事の醍醐味が味わえるとも思うけど…。そういえばいわゆるビジュアル系って受け手との関係性が何やら特殊だなと感じる。
この頃のカリガリはパーソナルなものが投入されすぎていて、歌詞などでわかりづらい部分がある。だけど彼らの奇妙で独特の(そして見掛け倒しではない)日本語の使い方というものにかなり魅了された当時の私がいました。突き刺さる、というかそれでいて時に甘ったるいほど優しかったり、弱かったり強かったり。

この後のボーカル交代とそれに触発された形での方向性のまったくの変貌、そして休止まで、私にはまるで決まった筋書きを追った結果であるように何となく思われた。始まりから終わりまで…存在自体がひとつのパッケージであったかのような、後期の彼らにはそんな印象を抱く。だからカリガリというと一曲一曲についてではなく、その存在自体がどうだったかについて言及したくなる。

http://www.review-japan.com/factory/p.html?AID=870&;;MODE=3&ID=20611&GENRE=こういう文章を『8』というアルバムに関してずっと前に書いた。当時は一生懸命書いただけに、時間がたつと恥ずかしすぎてろくに読み返してはいないのだけど。『8』は今も私には謎。ミクストメディア、記号的、意味や自身の解体…そんなキーワードが頭の中にちらついて、未だにこの作品の事がよくわからない。

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繭

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