HOME SWEET HOME

2006年2月28日 音楽
某雑誌に掲載されていたコラムが発端で、思いがけず彼とちょっとした論争(大げさ)になる。HOME MADE 家族というヒップホップグループに触れたものだったのだけど、彼はそういう音楽が好きなので。

コラムの要旨は、彼らの掲げる「家族愛」が単純な家族賛歌に終わっていて、紋切り型の「親は大事に」という表現からはその家族愛の中身だとか、家族へ対する複雑なあれこれが伝わってこない、という批判だったわけだけど、考えてみれば全ての受け手が複雑なあれこれを抱いているわけでもなく、そういう層には寧ろピンとこないわけで。聴いた感じでは彼らはそもそも、その複雑さを表現するというステージに最初から立つつもりなどないだろうし。全ての音楽家が同一のトーンで物事を歌にする必要はないし、それ以上に不自然である。言葉(歌詞)の側面だけで情感の豊かさの薄さを云々するのであれば、そうして批評する側自身が結局これも一つの聴き方でしかないがという前提でいないといけないと思う(言葉が単調なら音響面なり他の要素で突出して欲しいなんて思いはするけど)。

そんなふうに、音楽家とリスナーが双方充足していればそれはそれでいいやんというのが二人の一致したところで、ただ私は充足していて良いがそれとは別個でその音楽の客観的価値をあくまでも「仮に」決めていく者の存在は必要な気がする…というのが私の見方でした(彼は「嫌いなら聴かなきゃいい」派で、あまりそういう子供っぽい言い回しして欲しくない…まあその通りなんですけど)。若干方向が間違っている気もしなくはなかったけど(全ての音楽が全ての層を「つねに」対象としているという前提が入っている感じがして)私はおおむねそのコラムに賛成。だって家族愛なんてわかりやすいようでわかりづらい言葉。私の抱いているものは多分シンプルな家族賛歌では勿論ないし、と言って真っ向から背を向ける気もない…。彼らの楽曲は「少年ハート」が口ずさめる程度には知っているけど、ノリのよい曲だよねとは思う。でもやっぱりあまり感銘は受けないし励まされもしない。

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繭

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