ISBN:4101215235 文庫 新潮社 2005/11/26 ¥460

ある博士の家に家政婦組合から派遣された「私」とその息子「ルート」(博士によって名付けられた呼び名)、事故により80分しか記憶の持たなくなった元数学博士との日々を描く作品。

小説を目の前にして、それを現実世界の尺度に当てはめ「現実的/非現実的」「自然/不自然」なんかを論じるのは無意味かもしれないと思うのだけど、にしても浮世離れしてるなあという感じは終始あり。過去に次々とやめていった家政婦の存在や、博士を散歩に連れ出した時にけげんな顔つきや見ない振りをする人達がちゃんと描かれているのは良かったと思う。博士の人柄が一見風変わりに映り、だけど「私」やルートと博士の間には安らげる時間や互いへの信頼感が密に流れており、そのお互いのめぐりあいがとても貴重で至福のものだったという事が静かにじわじわと伝わってくる効果となって表れていると思う。一方で、浮世離れしているという印象はそこから来ているとも言えるのだけど。
作品内で丁寧に描かれているのはルートが小学生だったある時期の話で、そのルートも終わりの方では大学生になっている事が後日談的に記されており、でも博士の所への訪問は途切れず続いているわけで、大学生になっても昔と同じ心が保てるのかなあなどと、そういう所で引っかかってしまう。そういう無駄な引っかかり方をしなければ、純粋に感動もできるのだろうけど。私としては引き付けられる部分もあり、また「えー?」とむずがゆく思う描写もありで、手放しで感動というところには至りませんでした。とはいえ心に残った部分としては、普段は弱弱しい博士がルートに向けるいたわりや生き生きとした眼差し、庇護者としての威厳ある態度には、いいなあ…と思わされたりもした。

小川さんの持ち味である静謐さが活かされ、そこに温かさがプラスされた作品になっているという感じ。また本作に豊富に登場する数式はどれも、博士の手により凛々しく堂々とした印象を帯びていて、それによって全体が引き締められていいバランスにもなっているとは思う。
しかしやっぱり「泣けました!」とはならないなあ…と悩む読後感。生々しさがあえて追放されているからでしょうか。それはそれでこの人の作風なので、別に作品の良し悪しとは無関係のポイントなのだけど。結局「私個人になじみにくい」というだけの事か。

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繭

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