しばらく考えていた事を一旦まとめてみる。
両親に親愛のような思いを抱けた事で、ようやく人並みになれたような気がしてほっとしている。できれば遠ざかりたいものから、少しは暇を作って顔を出さなければ…と思えるものへの変化。松尾スズキ氏の対談集であった「罪悪感でもって子供を躾ける」…結局はその罪悪感にちくちくやられている部分もあるのだろうけど。未だに人の痛い所に平然と触れて恬としている母でもあるし。要は「これだけの投資(あまりよい言い方じゃないけど)をされたのだから、無下にしてそっぽを向くのはどうか…」という。
そういう事について、電車内の観光広告を見てふと思った。思い出を作る、誰かにどこかへ連れて行ってもらったという感じはゆくゆく必要になるものだと思うので。私の子供の頃は休日ごとにとりあえずどこかへ出掛ける事が多くて、それがまた別に楽しいものでなかった場合も多かったんだけど(しょっちゅう喧嘩するし)だとしても大事なものかもなあと思ったりもするので。(だから外出して家族連れを見ると「この人達も別に行きたい所があるわけじゃないのに無理して出掛けてるのかなあ」などと反射的に感じてしまう)
多分両親と落ち着いて話ができたり、前向きな思いとともに実家を思い浮かべられたりするのは、
・物理的、心理的な距離
・彼氏の存在のために精神的に安定している
・社会に出たから
とかの影響があるのかもしれない。自分が急速に世間並みの感覚を身につけ「させられて」いっているとは、うっすら感じるものの、今のこういう状態は単に建前だけじゃないはずとも思う。でも一緒には暮らせないと思うんだよな、結局は。なかなか。
両親に親愛のような思いを抱けた事で、ようやく人並みになれたような気がしてほっとしている。できれば遠ざかりたいものから、少しは暇を作って顔を出さなければ…と思えるものへの変化。松尾スズキ氏の対談集であった「罪悪感でもって子供を躾ける」…結局はその罪悪感にちくちくやられている部分もあるのだろうけど。未だに人の痛い所に平然と触れて恬としている母でもあるし。要は「これだけの投資(あまりよい言い方じゃないけど)をされたのだから、無下にしてそっぽを向くのはどうか…」という。
そういう事について、電車内の観光広告を見てふと思った。思い出を作る、誰かにどこかへ連れて行ってもらったという感じはゆくゆく必要になるものだと思うので。私の子供の頃は休日ごとにとりあえずどこかへ出掛ける事が多くて、それがまた別に楽しいものでなかった場合も多かったんだけど(しょっちゅう喧嘩するし)だとしても大事なものかもなあと思ったりもするので。(だから外出して家族連れを見ると「この人達も別に行きたい所があるわけじゃないのに無理して出掛けてるのかなあ」などと反射的に感じてしまう)
多分両親と落ち着いて話ができたり、前向きな思いとともに実家を思い浮かべられたりするのは、
・物理的、心理的な距離
・彼氏の存在のために精神的に安定している
・社会に出たから
とかの影響があるのかもしれない。自分が急速に世間並みの感覚を身につけ「させられて」いっているとは、うっすら感じるものの、今のこういう状態は単に建前だけじゃないはずとも思う。でも一緒には暮らせないと思うんだよな、結局は。なかなか。
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