ここ数日

2005年6月15日
職場の飲み会に参加する(五十人程度)。なんか…なんか色々とテンション凄かったよ…。酔って目がすわり絡みまくるマネージャー。ステージに出されて新人みんなで歌って踊らされる。引いていたらのちのち影響しそう、とちょっと身構えたせいもあって頑張ってノッてみる。
しかしどれだけ笑っていても、ああいう場ではどうしても心の底までは堪能できなくてついていけなくて一瞬さめてしまうのは相変わらずか。隣で動機が本当に屈託なく楽しんでいるのを見ると、客観的に自分との比較を行ってしまう。こういう違いはそれぞれに根深く培われた性質なのだろうかと思う。

そののち新人のみで飲み屋へ。何とか頑張っていこうよという話。

----------------------------------

いじめを苦にして自殺した女の子の報道の締めくくりにキャスターが「社会の縮図を見ているよう」か「いじめは社会を映す鏡」か、そんなニュアンスの事を一言ぱっと言って次に移ったのが、何となく気に入らなかった。「社会」というものとの相関性は全くないと思うのだが。
そういうものとあまり関係なく、起きる時は起きてしまう。
このキャスターに関しては、たまにセンセーショナルな言動に走るところも見られて、言葉がかるいなあと思ってしまう瞬間もあったし(そこまで熱心な視聴者でもないのだが)、私には前の人の方が良かった。言葉なんて地道で地味なものである方がいい、というか聞いていて反発を感じずに済んで心地よい。

----------------------------------

三室戸寺に二人で行く。彼のおばあさんが亡くなったのだが、死後の魂がめぐる西国三十三箇所のひとつに含まれているそう。うろ覚えだがそんな話をされた。一年間神社には行ってはいけないらしい。あじさいが綺麗だった。蓮の花はまだだった。

帰りによったレストランでチキンカツとオムライスのセットを食べたがそれが「親子プレート」という名前で、「親子」を食すって何か凄いよなあ…と思えてきてそう言ったのだけど、確かにーと言いつつ「でもその卵がその鶏から生まれた可能性はほとんどないよね」と返された。そうか、そうかも…。
「親子丼」というネーミングには違和感を感じた事は一度もないんだけど。そういう名前のものとして世間や自分に浸透しているせいか。

------------------------------------
薦められて読んだのだが、最近車谷長吉が面白い。はじめは表現過剰だと感じたけど、このひたひたと湿った感じ。

コメント

繭

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索