二人で観光。雨の南禅寺と伏見稲荷。南禅寺にある琵琶湖疎水の橋はいつ見ても何だか和む。和洋混在する雰囲気。まだこの季節はひっそりしていて、なにものからも遠く離れた所をひょいと覗いたような落ち着く気持ちになれる。
伏見稲荷を雨の中頂上まで傘を手にえいえいとのぼる。雨で人は少ない。延々と続く朱色の鳥居には朽ちて倒れたものもある。対の狐、伏見区周辺を一望できる景色、竹林や霧のかかった森。のぼりながら福永武彦『忘却の河』のテーマの一つである「ふるさと」の話をする。生まれ故郷とはまた別の、自分がいつでも迎え入れてもらえる安心感を持てる場所。それをこの地で二人で作りたいといったような話を妙に真面目になって話した。
昔の「みんなのうた」を「つのつの一本赤鬼どん〜」(何故かフルで歌える彼)「真っ暗くら〜いくらい」「一円玉の旅がらす〜」と次々に変なテンションで歌いまくる。振り返るとぽつりと人がいて気まずくなる。彼のおばあさんの病気の平癒、というか末期癌のため少しでも安息に満ちた最期を祈る。豆粒のように小さい猫の置物を一つずつ買い、写真もたくさん撮った。
帰る頃になって雨がやんだ。真剣な話も出来たし、たくさん笑って喋って、とても充実して楽しく幸せな安息日だった。

そんなふうに昨日エネルギー補充したのに、仕事の前になるとぐったりと気持ちが塞ぐ。
全体的に割とアッパーな感じで仕事はできたはずだけど、シーツ交換などの一人作業の時には気持ちがゆるむのか、私の内部の奥底にある膜のようなものがふっとめくれそこからぼろぼろとこぼれ落ちる。
失敗に対して、次回からはこうしてと注意や助言はされるのだが、その中で私なりに考えた部分や、何かしら良かった点などを見てもらえる事はないのだろうか…とつい悲観する。今の段階で完璧を求められているはずもないのに思いつめて勝手に追いつめられて暗くなるのが一番の問題だろうか。
被害妄想というものは治るのだろうか?これは全て自分の頭の中で起こっているだけの事なのだ…!と自分で打ち消すきりのない作業にも疲れ果て、私は延々と一体何をやっているのだろう…と馬鹿馬鹿しさと虚しさに気持ちが沈む。

人生自体を悲観はしていない。二三の物事を思い返して、生きる中で出会う全てを恐れているのではないと確認する。幸せというものもあるのだとようやく身にしみてわかった。ただ一方では自分の恐れるものが取り除かれ、私が愛していて向こうも私を受け入れてくれるもので満ちた世界というものはありえず、またそんな虫の良い話があるわけもなくそれで当然ではないかと納得している。納得はしているのにそこで気持ちがくじける。
本当に何をやっているのだろうかこの子は…と

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言いながら写真日記更新するエネルギーはあるので大丈夫なんじゃないでしょうか…。よろしければ訪れてみて下さい。今回は好きな風景を色々撮りました。猫には出会わなかったのが残念。

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繭

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