1月5日の日記

2005年1月5日
高揚した状態でものを書いたらいけないな、何だ下の文章。でもやはり残す。見苦しいけどそれが素なんだし。

昨日実家からこっちに戻る電車の中で、自分になじみのある風景を見るうちに色々と考えてしまっていた。私がこの土地に執着する事の不思議さというか、それなりに生き生きと暮らしている人もいるだろうになあといったような、いちいち立ち止まるまでもないような事を。それって何だろう、と決して否定的ではない意味合いでふと思うと変な感じがした。
ある程度の物事については初めの初めから道筋が動かしがたく決まっていて、車窓から見える家々もその家庭や個人なりの深さの悩み苦しみを持っていながらそこにいる人達との生活を営んでいるんだろうな、と思うと、何というか周囲の色々や誰かの情動なんかを、自分と相容れなくても受け入れていくべきなのかもしれないというような変な心境になった。
ただその周囲の云々が、上手く説明できないけど言ってみれば、ストイックで清清しい厳しさのあるものである限り、という注文を私はついつけてしまう。

と、その時感じた事をもう少しわかりやすく整理して書きたいけど。
自分にはこの程度がふさわしい、幸せの程度は初めから決定されていて誤差の範囲で生きるしかない、と思っていたのが、もしかしたら違うのかもしれないと徐々に思い始めた。今更嫌気がさすのはそのせいかもしれない。

帰省中の事その他
・親戚の子の七五三の写真を見せてもらう。ドレスを着て窓辺で小鳥を愛ずる姫…なんじゃこりゃあと一ページ目から度肝を抜かれた。今の写真屋(スタジオ?)って凄いのね…。湖畔(スチールなんたらってやつで水を表現)で妖精とたわむれてるのもありました。
またこの子が同年代の子と比べても顔が愛らしいから似合う。なりきり度も高いし。
育てているオジギソウの「おじっぴい」(笑)も見せてもらう。名前付けてる…。つい最近の日記に書いた親切な親戚の人の子なのでまっすぐ育つんだろうな、何やかんやあるだろうがこの人が親なら根本からおかしくなって突き進む事はないだろう、それをこっそり見守るよ

・おばあさんのお見舞い。最近までデイで働いていた親戚のおじさんが病室来ていた。介護しているおばさんは、食事に二時間かかるのは病院側でしますとの看護婦さんの言葉を振り切って、自分達の手で!って感じにしたので、またそれに関して二三のうんざりした言葉を聞いた。
意識レベルは大分回復してきて、とはいえ93歳で耳が凄く遠くて痴呆も持っているのでほとんどおじさんのぽつぽつと語りかける言葉や私達の会話しか聞こえてこない空間だった。
何故か食事介助をさせられて心配になるけど普通にできた。耳の側でおいしい?と聞くとおいしいとちゃんと答えてくれて、その瞬間は色々な余計な事を忘れる事ができた気がした。とはいえそれで終われるわけはなく、虚栄心とか意地とかタテマエホンネとか今後も面倒な感じになるだろう。それが当然だけど難しいなと思う。
生きるって何なんだろうなと、月並みな気もするけどそんな事を感じずにはいられない時間だった。

・おじいさんがうちに来る。何か「死に時」についての話で、親族がそれなりの役職についている間に死ねば会社の関係者がたくさん参列してくれて盛大に葬式ができる、みたいな事を言い、引き時は自分で決められるが死に時っていうのはどうにもならんからなあーと笑っていた。そんなお義理の葬式したいんかなあと思ったものの、なるほど…と思わされた。年寄り同士集るとこういう話が必ず出るとも言っていた。
あと母によると、若い頃は昔の(日活とかの)映画俳優みたいな男前だったそうだ。「自称」ではないらしい。へえ…。

・正月番組は大抵つまらない。あちこちのお笑い番組もほとんど見なかった。オールザッツとオンエアバトルと登竜門Fをチラ見したくらい。ネタを収録したDVDがたくさん発売されるのだけがこのブーム中唯一の嬉しさ。
紅白にも年々興味がなくなっていく。オレンジレンジのノリに驚愕というか、最近の日本の歌謡曲(大げさに言うと日本人)はこんなんになっちゃったの?何この歌詞?などと戸惑う。
白組の渋めの人達の歌の方が心にしみた。現在の歌の中で数十年後にも聴かれるものがどの程度あるのだろう。などと言い出すのは年を嫌な風にとり始めた兆候のようにも思える。懐古趣味というか。嫌だわ。でもそういう懐古趣味を取り去っても妥当な考え方ではないかと思う。

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繭

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