相変わらずこんな事を書きつける
2005年1月1日 家族・子育て仲良くやってます、というのは数時間後に前言撤回する事になったが、新年早々、という気もするけど別にいつだって関係はない。こうなるのはさほど珍しくはない。やはり遠く離れていてこそ関係が保てるものなのかもしれない。
何故もめなくてはいけないんだろう。
数あるサンプルの中から悲劇的で惨めなものばかりを選び取って目の前の提示し,希望や気力を根絶やしにしようとする目的は未だにわからない。単に性格から来るものなのか
くそまじめに私がそれを信じ込みすぎたのが悪いのか、でも子供の頃って結構親が絶対じゃんねえ
世の中には希望的な結末もあるという事を早いうちに知っておきたかったですよ
**********************
おばあさんの事がメインで、あと他の事とで家の中が多少ごたごたしている。そういう所にいるとああああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!と心の中できりなく連呼したい衝動に駆られる。
母が拾ってくる情報や感情の断片は荒んだものやフィルターを通されて穿った見方のものばかりで、腹の中がもやもやぎちぎちして真っ黒になりそう
親戚の人で物凄く気立てがよくて親切で非の打ち所がない人がいて、母もその人に色々よくしてもらっているのに、なおも「あの人料理しないのよ」とかあら探しをしようとする、その精神はどこから?何で?
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首を小刻みに振ってからでないと何にも取りかかれない最近の傾向を、気にならないかと以前聞いてみたら、大丈夫だと言ってくれた。鈍感なところがあるので気付いていないだけという考えもできるが、そういったところに助けられる。
本人曰く、彼も子供時代はたいがいな子だったそうでそれは現在の挙動を見ていても多少納得させられるものがあるのだけど、それは置いといて、親はあたたかく辛抱強く育ててくれたと言っていた。おばあさんが重い癌だが家族が協力してとても良くしてくれるから病状は安定しているそうだ。そんな諸々の話を聴かされる。彼は人を悪く言わないから、外からじゃ何もわからないから、多少は割り引いてみるとしても。
あの人は家族と一緒にいたいと思えるのは幸せな事なんだねとこぼしたが、悪いのは環境ではなく私自身の欠陥だとも言える。比較するのも無意味すぎて話にならない。ただそうしたくなる心情はどうしようもない。彼の家族についての話を聴いていると、私もそこの子にしてくれよなんておふざけの残り半分は本心でそう思ってしまうのだ
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私への慈愛の精神はないの!?となじられ、んなもんあるかいなと思いながらこの環境でどうやって学べと?と返すと、外で学べるでしょうがと言ってきた、もっともだ。現にそうしようとしてるし、ごく僅かながらできそうな希望を持ちつつある。本当に僅かだとしても。私の身近にいる数人の人達には本当に感謝してもしきれないくらい、私に影響を与えてくれた。
ただ自分の事もきちんと大事にできてないのにそんな懐の深さはないよ、私がそれに近い思いに満ちて接する事ができるのはただ一人と、おおまけに負けてあと数人とだけだ。私はその人のおかげで人への肯定的な目を失わずにいられている。私がこんな事を書けばうそ臭いのではと自意識過剰ぎみに感じてきたが、愛情の向け方が非常に偏っているにしても私はその人の事は本当に大切にしたい、しなければと思っている。色々受けとめて行きたいと思っている。だからあなたに同じ事をするのはまだまだ無理だ。未熟な私はそうしたいと自然に思いが湧いてこない。
しかしこの親にしてこの子あり…って事なのか
************************
もっと私に人を肯定的に見させてください、圧倒的にそういう心が足りていないんだ、多少強引でもそうやって見ていかなければ駄目になるんじゃないかと怖れているんだよ
なんかこれが続けば本当にすみずみまで真っ黒になりそう、でも昔と同じ状況に戻ったってだけなんだけどさ
早く京都に帰りたいな
何故もめなくてはいけないんだろう。
数あるサンプルの中から悲劇的で惨めなものばかりを選び取って目の前の提示し,希望や気力を根絶やしにしようとする目的は未だにわからない。単に性格から来るものなのか
くそまじめに私がそれを信じ込みすぎたのが悪いのか、でも子供の頃って結構親が絶対じゃんねえ
世の中には希望的な結末もあるという事を早いうちに知っておきたかったですよ
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おばあさんの事がメインで、あと他の事とで家の中が多少ごたごたしている。そういう所にいるとああああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!と心の中できりなく連呼したい衝動に駆られる。
母が拾ってくる情報や感情の断片は荒んだものやフィルターを通されて穿った見方のものばかりで、腹の中がもやもやぎちぎちして真っ黒になりそう
親戚の人で物凄く気立てがよくて親切で非の打ち所がない人がいて、母もその人に色々よくしてもらっているのに、なおも「あの人料理しないのよ」とかあら探しをしようとする、その精神はどこから?何で?
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首を小刻みに振ってからでないと何にも取りかかれない最近の傾向を、気にならないかと以前聞いてみたら、大丈夫だと言ってくれた。鈍感なところがあるので気付いていないだけという考えもできるが、そういったところに助けられる。
本人曰く、彼も子供時代はたいがいな子だったそうでそれは現在の挙動を見ていても多少納得させられるものがあるのだけど、それは置いといて、親はあたたかく辛抱強く育ててくれたと言っていた。おばあさんが重い癌だが家族が協力してとても良くしてくれるから病状は安定しているそうだ。そんな諸々の話を聴かされる。彼は人を悪く言わないから、外からじゃ何もわからないから、多少は割り引いてみるとしても。
あの人は家族と一緒にいたいと思えるのは幸せな事なんだねとこぼしたが、悪いのは環境ではなく私自身の欠陥だとも言える。比較するのも無意味すぎて話にならない。ただそうしたくなる心情はどうしようもない。彼の家族についての話を聴いていると、私もそこの子にしてくれよなんておふざけの残り半分は本心でそう思ってしまうのだ
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私への慈愛の精神はないの!?となじられ、んなもんあるかいなと思いながらこの環境でどうやって学べと?と返すと、外で学べるでしょうがと言ってきた、もっともだ。現にそうしようとしてるし、ごく僅かながらできそうな希望を持ちつつある。本当に僅かだとしても。私の身近にいる数人の人達には本当に感謝してもしきれないくらい、私に影響を与えてくれた。
ただ自分の事もきちんと大事にできてないのにそんな懐の深さはないよ、私がそれに近い思いに満ちて接する事ができるのはただ一人と、おおまけに負けてあと数人とだけだ。私はその人のおかげで人への肯定的な目を失わずにいられている。私がこんな事を書けばうそ臭いのではと自意識過剰ぎみに感じてきたが、愛情の向け方が非常に偏っているにしても私はその人の事は本当に大切にしたい、しなければと思っている。色々受けとめて行きたいと思っている。だからあなたに同じ事をするのはまだまだ無理だ。未熟な私はそうしたいと自然に思いが湧いてこない。
しかしこの親にしてこの子あり…って事なのか
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もっと私に人を肯定的に見させてください、圧倒的にそういう心が足りていないんだ、多少強引でもそうやって見ていかなければ駄目になるんじゃないかと怖れているんだよ
なんかこれが続けば本当にすみずみまで真っ黒になりそう、でも昔と同じ状況に戻ったってだけなんだけどさ
早く京都に帰りたいな
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