プレゼント交換や東福寺観光などのひとときがありつつ、29日から実家に戻っている。試験勉強の道具を持ってきたのを眺めつつ、おせち作ったり晩御飯作ったり正月の準備したり妹に大富豪に付き合わされたりする。むしろそっちがメインに。
自分の人生を生活の雑事によって台無しにされたくないそうな…でも生活を捨てる事はどうしたってできないでしょうに、と思いつつ、そう思うようになるとは自分もちょっと物分りがいい分つまらなくなっているんじゃないかと、引っかかるものを覚える。
若さゆえの頑なさを捨て去れたわけではないが、今の私は自分のなくしたものに憧れの視線を注いでしまう
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我慢強くなったわけでもなく、ただ世間が喧しくこちらに吹き込もうとする不要な、だけどそう完全に落ち着き払って片付けられなくて癪に障る色んな事を受け流す方法を身につけつつあるだけなのだ。田舎にいるとそういう事が多くて性に合わない。では済まないんだろうな
京都にいると感じずに済むというだけで、やはりこうして実家に戻ると世間のしがらみというものの雰囲気をもろに食らってしまう。一つの監視システムの中にいるような気持ちが抜けないのは、過去の時間の過ごし方が上手くなかったせいなのだろう、それは誰のせいでもなく、仕方ないよ
無感覚でいられる事の有難さと楽さ。と同時に上に書いたような憧れと惜しさと危機感を少し感じる。自分は大丈夫だと思っていたけど丸二日目にして一瞬ひそかに臨界点に達してしまった感じがする。
みんな忙しいな
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おばあさんが転倒して大腿骨あたりを骨折したとの事で、両親が朝早く病院に出かけた。年明けに手術だそうでお見舞いに行ったらまた詳しい事を書きたい。なのに心配はしつつもどこかドライでいるのは、おばあさんにまつわる思い出がないに等しい事を私は内心その理由にしたがっているけど、それもおかしいよなあ。
重度の痴呆だけど足腰だけは丈夫で、デイサービスセンターでもにこにこ座っているいいおばあさんだったとの事で、痴呆になったら地の性格が出るというのに、おばあさんは元からが穏やかな人だったんだねえと母が言っていた。そうか元気なんだと嬉しく思ったが、それはどこか自分が遠いところにいるから覚えられる無責任な感情に近いものなのではないかと勘繰ってみる。大腿骨という事は、寝たきりになってしまうんだろうか
病室で、おばあさんを世話しているおばさんは看護婦さんの前で殊更に優しい自分を演出し喋りたて、そんなんいくら横でわめいても迷惑なだけで意味ないやんというのが母だったらしい。おばさんは虚栄心だけで動いているわけではないし、だとしてもいいじゃないかと思うが、どちらに賛成したいとも思わない。それから私はどちらかと言うと母の冷たさを引き継いでいるなと嫌になったが、その冷たいのが自分の一部だという事は事実だから蓋をしたらいけない。
来年はそういうのをいい加減人のせいにしないようにしたいよ。しなくては。今年はそういう自分可愛さの心理パターンに何度も突き当たる事が多くて、そのたびにいけないいけないと思いながら都合の良い方へ流れてしまっていた。育ちを一つの要因とする事はやめないけど、いつまでも人のせいにしていれば片付くとひとときの安心を得るなよ自分
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色々と思うが大半は平穏に過ごしているわけで。仲良くやっています。
母は今に至るまで私の事を思っていなかったのではなく、ただ偏っていて自己愛が多少強いだけだったのだ、と思ってみるが、そういう視点は自分には必要な気がする
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すみません、こんな感じですが来年もどうぞよろしくお願いします。
自分の人生を生活の雑事によって台無しにされたくないそうな…でも生活を捨てる事はどうしたってできないでしょうに、と思いつつ、そう思うようになるとは自分もちょっと物分りがいい分つまらなくなっているんじゃないかと、引っかかるものを覚える。
若さゆえの頑なさを捨て去れたわけではないが、今の私は自分のなくしたものに憧れの視線を注いでしまう
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我慢強くなったわけでもなく、ただ世間が喧しくこちらに吹き込もうとする不要な、だけどそう完全に落ち着き払って片付けられなくて癪に障る色んな事を受け流す方法を身につけつつあるだけなのだ。田舎にいるとそういう事が多くて性に合わない。では済まないんだろうな
京都にいると感じずに済むというだけで、やはりこうして実家に戻ると世間のしがらみというものの雰囲気をもろに食らってしまう。一つの監視システムの中にいるような気持ちが抜けないのは、過去の時間の過ごし方が上手くなかったせいなのだろう、それは誰のせいでもなく、仕方ないよ
無感覚でいられる事の有難さと楽さ。と同時に上に書いたような憧れと惜しさと危機感を少し感じる。自分は大丈夫だと思っていたけど丸二日目にして一瞬ひそかに臨界点に達してしまった感じがする。
みんな忙しいな
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おばあさんが転倒して大腿骨あたりを骨折したとの事で、両親が朝早く病院に出かけた。年明けに手術だそうでお見舞いに行ったらまた詳しい事を書きたい。なのに心配はしつつもどこかドライでいるのは、おばあさんにまつわる思い出がないに等しい事を私は内心その理由にしたがっているけど、それもおかしいよなあ。
重度の痴呆だけど足腰だけは丈夫で、デイサービスセンターでもにこにこ座っているいいおばあさんだったとの事で、痴呆になったら地の性格が出るというのに、おばあさんは元からが穏やかな人だったんだねえと母が言っていた。そうか元気なんだと嬉しく思ったが、それはどこか自分が遠いところにいるから覚えられる無責任な感情に近いものなのではないかと勘繰ってみる。大腿骨という事は、寝たきりになってしまうんだろうか
病室で、おばあさんを世話しているおばさんは看護婦さんの前で殊更に優しい自分を演出し喋りたて、そんなんいくら横でわめいても迷惑なだけで意味ないやんというのが母だったらしい。おばさんは虚栄心だけで動いているわけではないし、だとしてもいいじゃないかと思うが、どちらに賛成したいとも思わない。それから私はどちらかと言うと母の冷たさを引き継いでいるなと嫌になったが、その冷たいのが自分の一部だという事は事実だから蓋をしたらいけない。
来年はそういうのをいい加減人のせいにしないようにしたいよ。しなくては。今年はそういう自分可愛さの心理パターンに何度も突き当たる事が多くて、そのたびにいけないいけないと思いながら都合の良い方へ流れてしまっていた。育ちを一つの要因とする事はやめないけど、いつまでも人のせいにしていれば片付くとひとときの安心を得るなよ自分
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色々と思うが大半は平穏に過ごしているわけで。仲良くやっています。
母は今に至るまで私の事を思っていなかったのではなく、ただ偏っていて自己愛が多少強いだけだったのだ、と思ってみるが、そういう視点は自分には必要な気がする
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すみません、こんな感じですが来年もどうぞよろしくお願いします。
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