帰宅。贅沢にもJRに乗る。
帰省中は父に付き添ってもらい一年半振りに車の運転の練習をしたり、何もやる気がせずかといって見る場所もないので自転車で岬まで行ってみたりして、特に何もなく過ごした。
親戚に会う事になっていて、こんな状態で絶対無理だと思っていたのだが、今後6歳になる親戚の子の遊び相手をしてちょっと元気をもらってきた。川でタニシやアメンボ採ったり手つないで出かけたりトランプしたり。
えらく可愛いです。基本的にあまり子供は得意ではないけどこの子は可愛くてこちらも楽しくなる。しかも心なしか妹より私に懐いてくれるのが嬉しいという。でへへ。
でももう少し大きくなったら付き合いにくくなるんだろうなあ。

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しつこいですがこの話は。
母は人間的にどうも尊敬できない。自分の失敗は良いが他者の失敗は許さず、何度も何度も飽きずに本人の前で過ぎ去った過去の汚点を(物心付く前の出来事まで)引きずり出す。他者を貶め噂をしてはせせら笑う一方で自分を哀れむ事しか頭にないように、少なくとも私には見える。
思うが母は別に子供は要らなかったのではないか。金労力時間、投資みたいな物で、要は暴落したって事なのだろうし失敗だと言われれば仕方がなく、そうなればお荷物以下でしかない。でもまあ無条件の愛情とかそこにいるだけでいいとか嘘臭いしねえ。他所にはあるのかもしれないがそれを受けるのに自分はふさわしくなく思え、かえって条件付きの方がまともに思える。

もっといたわれ思いやれと言うが(そういう時だけ私が福祉の勉強中な事を都合良く持ち出し盾にする)、得られないからと言って私があなたに同じ要求をした事があっただろうか。何なんだろう、荒れるでもなく表面上は普通に接してきたつもりなのだが。
いたわりに近い思いが起こる事も全くないわけではないが、それにしたって自分が都合良いように育たなかった事への申し訳なさと後ろめたさ(反面そういう感情を私が持つ必要はないと思っていもする)だったりする。

などと言いながらも経済的に頼っている以上は文句は言えないという思いが根本にあるわけだが、それならその対価として何を支払う事になっても甘受すべしという理屈になるのだろうか。通常の人間関係でなら不適切な言動でも親子間でなら通ってしまうのは何故なのか。

家の中では思い切り笑う事が少ない。乾いた笑いや、自分や他者への嘲りが含まれているような笑いに自然となる。気付けば妹もそんな風で嫌になる。姉妹の間では、母を反面教師とする方向に意見が落ち着いている様子。
顔色を伺い言葉の裏を常に読み少しの物音に怯え自分への無力感を強め、そんなものが家庭なのか。程度の差はあれどこも似たり寄ったりなのだろうか。

以前新聞で読んだ、名前は失念したがデザイナーだか作家だかが、今まで自分にかけられた養育費や学費などを計算した総額分を両親に返して縁を切ったというエピソードが脳裏に甦り、凄い話もあったもんだと、流石にそれは相手の気持ちを考えるとどうなのだと当時は思ったが、それがその人なりの決着の付け方なのだろうしそういう方法もありなのかもしれないと思い直す。

車内で「delayed」のメロディーに癒されつつ深呼吸をする。
要は甘いんだわねえ。
まあ一生言ってればいいよお前も私も。

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繭

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