土曜は大阪に介護に出かけるが、ここの所私の精神状態も良いせいか会話の面で明らかな向上が見られた日だったと思う。向上って、そんな硬い言葉を使う必要はないんだけどまあ今の気分がそうなので。あまり喋るのは得意じゃないのに前日の飲み会の事やらサークルの事やら、私自身の近況やら。
たいてい私の個人的な領域に関わる事は(好きな作家だとか、例え取るに足りない事であっても)話すのを渋りがちだし、その領域に入ってくる相手を物凄く選びもするのに、そういう話も自分から喋った。自分から話を膨らませる方向に行ってみたりも。珍しいなあ。

そのせいか今日は家全体の雰囲気が良かった気がする。介護自体は一応気を配って丁寧にしているというつもりなのだけど、だから十分だというわけではないんだなあと。当然の事だがそれを実感した。
相手が受け入れてくれるか否かを伺い、それにより自分が心を開くか閉ざすかが決まるという順序を取るのが普通なのだが、自分が先に変わってみるのも大切なのかもしれない。ただそれは私にとっては物凄いエネルギーのいる事でもあるんだけど。淡々と書いてますがこの日は今までで一番良かったんですよ。

そのまま残って日曜は介護者会議という先月と同じパターン。これだと月に二度出かけなくて済むので電車賃が浮くのが素晴らしい。たださっさと帰って寝るという事はできないが。スーパーへの買い物に付き合う。
でも会議ったってさっぱり人集まらないし、ほとんど世間話でだらだらと無為に時間を消費している感はある。しかも自分の喋る言葉の最後に笑い声を付け加えないと気が済まないみたいな人がいて、その笑い声がいちいち私の神経を軽く逆撫でするもんで…。個人的な好き嫌いの問題だけはどうしようもない。

さらに家族の人が発端となり、過去に何度か書いたAさんという介護者の噂話が始まる。どうでもいい。あのさあ、「してあげている」という感じは間違ったものではあるにせよ、関わってくれている人の事を何で嘲笑するような口ぶりで話せる?言われる方の気持ちがわからないわけはない、と勝手に思うのだが。
私も個人的に付き合いたいとは特に思わないがかといってこちらから攻撃をしかける必要性もないと考えている。あの人はできる限りの精一杯の力で介護に当たっているはずだ。
同じ話を土曜日にも振られたが、私がフォローっぽい反応しか返さなかったので物足りなかったのかもしれない。自分も同じような立場に長期的に置かれた事があるので一緒になって嬉々として話す事はできない、などと言えば良かったのか。言うわけないけど。
何で人はそういう噂話や嘲笑が好きなんだろうな。何でわからないんだろう。
あまりここの人達に悩み相談はできないなあという感じは依然ある。何を求めてここに来るかはまだ模索中。

ふと何気なく頭に浮かんだのは、自分の事情などはさておいて人のために何かをするべき時はあるが、またその相手の側もそれを当然の事と思ってはいけないというか個人的にそう思って欲しくない、という事だった。
仕事ならそうも言えないだろう。いや仕事でなくてもこの考え方には問題があるのかもしれないが…。

帰りの電車の中でMTさんに、いつから彼氏がいないのか、大学入ってからかなどと訊かれ、適当にごまかしてはみたが咄嗟の反応なんかでバレバレだったに違いない。どうせそんな話とは無縁の生活ですよ。人とあまり会わない上に基本的にもてないんですよ。
理想が高いのかと訊かれるけどそんな事もなく(高くはないが妙なのかも)、ただこっそり見ているのが好きなもので。相手には自分よりもっと良い人がいるでしょうと常に考えてしまうせいもある。
質問というよりは追究に近くて、内心必死でしかしあくまで平然とごまかす。勘弁してー。恋愛話を振られるのは得意じゃないんです。

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繭

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