予約の日が来たため大学のカウンセリングセンターへ行ってみました。
ひとまず思った事を箇条書きに。

・カウンセラーの人と会って「げ、若い女かい…」
・おいおい、そこで笑いますか?
・終始出方を伺うことになる。何故いつもそうなんだ自分。
・特に突っ込んでほしいところを軽く通り過ぎられる。
・最終的に座りのいい地点に落ち着いてほしいという展望の先走りを何となく感じる。若いから?(←何様)
・「よくわからない」って、それを表明するのっていいのかなあ…。
・矛盾した回答は無理矢理統合しなければならないものなんだろうか。それが発生した根本は同じはずだしそこを見てくれた方がいいような。
・興味を感じるなんて、そう思わなきゃやってられないんだろうなとひねた方向に取ってしまう。
・カウンセラーの質問がえらく飛び飛び。急に妹の事を訊かれ、「私と似てるんですけど、もうちょっと人間らしいというか…」
じゃあ私は何なんだよと自分にツッコミそうになった。
・そもそもの相談内容の設定がよくなかったのかと後で一人反省会。

28くらいの人だった。もう本当に若い女の人っていう時点で一歩引いてしまう。喋ってる最中その人の雰囲気にうっすら不安感。目もほとんど合わせず。苦手だ。(ただ相手の表情の変化をあまり見なかったのは良かったのかも…軽い傷になるくらい勝手に落ち込んでたかもしれん)もっと蓄積された経験や考えが色々と熟成して丸みを帯びたような人が良かったんだけど(表現わかりづらいか)。
まあ、頭から苦手苦手言う自分も悪いんだけどさ…。

日記内容の一部を延々喋ったという感じ。
終了直前に今思い当たったかのようなタイミングで「周囲にジャッジを下されている感じ」(1/23)を話す運びに。向こうとしてはそういう本人が言語化・意識化できていなかった(に見える)所を対話を通して引き出したいんだと思う。
それに対し「今まで聴いていた内容にはよくわからないものがあったけど、今の一言であなたという人が物凄くわかった」みたいに言われ、はあそうですか…。ここまで約45分喋った事も自分にとってはかなり大事なんだけどなあと軽い虚脱感。

疲れました?の質問にそうでもないですと答える。カウンセラー若干拍子抜け。
日記の内容の焼き直しのようなものだからか…とは思う。多分自分が普段あまり尊重できなかったり「どうでもいいんだけどね」と文末にくっつけて重さを軽減する所の「悲しい」「辛い」のような生の感情を吐露したなら疲れに繋がるんだと思う。
でもこの人にはちょっと出せないなあ…と感じた。たった一時間で何がわかるだろうとは思えど、この人じゃ何か違うんだよなと違和感が付きまとう。

自分みたいなタイプは出来事をどれだけ語っても、参考にはなれどそれだけでは問題の核心や解決に到達しない気がする。そこに備わっていた切実さは時間と共に薄れていくわけだから。しんどいでしょうと問う(というかその感情を予期する)相手と自分との温度差は開くのみだろうと。
要は「自分の事なのにどこか俯瞰している」という感じでいる。
問題点もずっと抱えている内に「初めからそういうものだ」という態度になってくる。いかに強い感情を出せるかだよな問題は…。

結局、カウンセリングをかじったとも言えない程度の知識に縛られて浅はかな考えを巡らせ、相手が方法論で接してきているのか、そういうものを取り払ったこの人の人間性は信用に値するものなのだろうかなどとずーっと伺っていた。なんて言って方法ありきで成立するのに何を今更…。
「挑戦的な態度で臨む相談者などいない」と河合隼雄の本にあったけど、そうなんだろうか。意味合いは違うかもしれないけどそういう態度を取って相手の出方を伺い、話せそうかどうかを判断する人はいるはず。

継続を勧められ。何なら他の人ともやってみてから決めさせてほしい。気が進まないもののいいえと答えれば、カウンセラーとしての相手を否定する事にならないかと思って言い出せずしばらくうーんと唸る。
曜日は固定なんですか?とそれとなく悟ってもらおうとするも伝わらず。最終的に自分で何とかしてみますと言い部屋を後にする。
続けたら何かあったかなと後ろ髪を引かれる思いも少しながら。
後になって変な空洞を自分の中に感じる。ああいう場に自分みたいな人は厄介なのでは。上のような事考えているあたり。何かこう、自分の問題以外に余計なエネルギーを向ける、率直じゃない相談者はやりづらいだろうと思う。

「日記に書いているような事を周囲に対して開いてみようとは思わない?」と訊かれ口ごもる。
ネットの日記なんですとは何故か言い出せませんでした。

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繭

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