最近ある人からのメールに少々困っていたのだが、一度返信せずにいたら以来来なくなった。深夜四時など時間を問わず一日の報告や今年の総括をしてくる彼女のメールに、返事をどう返せばいいのか困惑していたので、ほっとしたのが正直なところ。

その彼女とは過去(8/7、9/21)にも登場したAさんという一つ年上の人。どういう人かについてこの場合、いくら言葉を尽くしても五分の対面に勝るものはないと思うが過去日記に付け足すと、声・性格共に粘着質な所があるのと、何か視線を感じるなと思ったら凄いギョロ目でこちらを凝視しているのとが、私にどちらかというと避けたい印象を与えていると思う。

「避けたい」といきなり書いてしまったが、それが本音なのだと思う。8/7の日記では私はAさんに関する陰口に加わらず中立に位置し、一見Aさんを理解しようと努めている風であるし、その日に書いた事に嘘はないのだが、書くのをためらって控えてしまった事はある。それは正直言って自分へ矛が向かない事、他人がスケープゴートになる事への安心感が心底にあった。という事。最低です。本当に。
こっちに矛先が向くのはもう怖いんだ…っつってその光景を見て安心感覚えながら、今疎外されようとしている人を理解しようと努めるなんて虫が良すぎないか?汚ねえじゃん自分。

その理解というのが何かとじっくり考えてみれば、過去に自分自身も孤立する事が多くその思い出がしつこくこびりついているので、その自分が他人を疎外する立場に加担する事での良心が咎める思いや後ろめたさ、実はそういう自分側に引き寄せたものでしかないのだと思い至る。
つまりAさんをよく知った上で、Aさんの人間性を尊重すべきだと思うから…というのではない(いくらかはあるが、上の理由の方が大きい)。ある程度の共通点はある気がするが、それでも深く介入すると全力で寄りかかられそうで嫌だと思いもした。相談に乗ってあげたいと思えなかった。

「あいつキモイですよね〜」と言い放つ人と自分とはそれでも大きな差があると思っていた。排除をためらわないかその方法は取るべきではないと思うかという違い。だけどそれも最終的にはそれほど大差はないと思うようになった。互いを尊重すべきとは言いつつも進んでAさんと付き合いたいと私は考えるわけではなかったから。尊重というよりは、無闇に傷付けはしないけどいつでも助けてあげるという事もしない、というだけの話であり、結局Aさんの求めるものから外れるという点では同じ事なのだと思う。

つらつらと、妙な反省をしてみたが、結局の所は「好かれると色々依存されて疲れ果てそう」「自分の訊きたい事しか頭にないし一緒にいて楽しいのか」「ねちっこいし生理的にちょっと苦手」「彼氏がいるならそっちを頼った方が」というのに尽きる…結局私も優しくはないんだなあ…。上の後ろめたさと取り違えていた。私にバイタリティーが多めにあれば何とか太刀打ちできそうだけど。
勿論白か黒かではなくああしてどっちつかずの場所にいるのも別に普通の事だとは思う。ただ思ったのは、8/7のには自分の手を汚さないようにしているような節がどこかにあって、そういう自分に嫌悪感と反省。
まあそんな、善人でもないのにそれを装おうとする気持ちもちょっとあったわけで、それは汚いと思ったという。何かやっぱり恥ずかしいし醜悪だよな…と。
色々と、もっときちんと見直さなければ。

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繭

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