ゼミで思ったのは、やっぱりフェミニズムの立場で物を言う人は苦手かと。先人達の努力の恩恵にあずかっている部分も相当あるはずなので、そうである以上はこういう反発心を抱くのも勝手であるにしても、全てをその物差しで測る人には、思考停止してないかと言いたくなってしまう。
同意見の女の子がもう一人いるのでこういう事も言いやすく。文学その他を論じる時に一つの立場に拠るのは方法としてありだとは思うが、作り手が構造などのどんなに優れたものを書いても「女性蔑視だから駄目」「当時の家父長制に反抗しているから評価できる」とかのレベルでの選別しかされないのはちょっとねえ。生理的にというのもあるけど単につまらないじゃないのどうよ、と。レジュメにフェミニズム主張の論文が引いてあったのでつい。一つの論じ方として相対的にとらえておけばいいのか。

「荷物持ってあげるよ」とか言って悦に入っている男もいたけどねえ(ていうか私に言うなよあんたも)。何の優しさのつもりだそれは。それを「優しー」とはやすな周囲も。で「いざという時に守ってくれる人がいい」とか言うんだろうか(今時言わないのか)。ああでも蔑視もこういうのも根本的な違いはないのか。というかいちいち引っかかる自分もどうかと。ひねくれず一緒になって言っときゃいいじゃない。私もある意味思考停止か。
「男とは」「女とは」と述べたがる人も受け付けないけど、かといって全く同じに扱って欲しいというのもまっとうではない気がする。そんな事をもやもやと。何だかねえ、そんな風に反発心が起こる自分もちょっとねえと思う。いざ文字にしてみると。異様に潔癖な所がある。
こういちいち考える時点で私も何かにとらわれているわけなんだけど。あまり人を見る時に男(女)としてこれこれだ、と考えない、つまり自分ではその点でのこだわりはないと思っているが、こだわりがないというのが既にこだわりだというか。とかつい語りたがるのって「若いねえ」って事なのかもしれないが。ちょっとみっともないかもなあ。
なんてこねくり回してる暇にレポート書けよと。まったくです。

ああついに発表来週じゃん。律儀にも『モーツァルト大好き』という身も蓋もないタイトルのCDを買ってきたはいいが(聴かなくても多分書けるんだけど念のため)どうもテキスト内の楽譜と一致しないなあと不思議がってたら、四楽章が必要なのに一楽章を聴いていたとか。しまったなあ一楽章しか入ってない…。
卒論でもないのでテーマを大きく掲げなくてもいいんだが(先生の側でもそんな大層な物は期待してないと思う)考えがまとまらなさすぎてどんどん深い迷い道に入り込んでしまっているような…。小説なら、拙いなりに一応方法論を持っているので困った時の切り札としてそれを使う事もできるんだけど。まあ勉強になっていいといえばいいんだけど難しい。何よりテキストが(その段階か)。

朝、同じ福祉の講義を取っている人と帰りが一緒になり、電車の中で会話。神学部からの転部の方なので学部の話なども聴きつつ。神学部だけは未知の世界というか、普段接する機会が何故かない。他大学よりも門戸を開いている分色々あるそうで…(クリスチャンじゃなくても入れるらしい)。
今年Oデイに行った人がいるので来週紹介してあげると言って頂く。その流れで先日の面談の話をしてみたが、「やたらしんどい思いするよりは、Oが居心地良くても『全ての施設がこんな風に楽しいんだ』と思わないで、一方には辛い環境もある事を忘れないなら良いんじゃない?」と言って頂く。うーんそうかも…。
その人は実際辛い所に行ったためにこの世界に入るのを止めたらしいので。利用者さんに癒されつつ何とか頑張ったらしい。私としたら嫌な思いをしてから、それでも働きたいか?というのを考えた方がいいかとは思ってたんだけど、真面目だねと言われる。真面目…うーん。

Fさんを偶然見かけたので声をかける。確か五月以来会ってなかったなあ。近況報告しとりあえず年内に何人かで鍋でもしようよと提案して別れる。知り合いで、こっちからわざわざ声をかけるのも何かを誘うのも私にはわずかしかいないような気が。遠慮してしまう場合と、面倒臭い場合と両方。

蛍の光が流れる中バインのCDゲット。まだあまり聴いてないので後でじっくりと。一聴してドライだなあという意外さは感じたけど。

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繭

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