なんだかなあ

2003年11月6日
デイサービスで、河内長野の事件の話になる。来る前から、「あ、これはFさんあたりが口にするな」とは予想していたけど。やっぱり子供とか親とかが絡むと。とりあえず「全く理解できへん」「親を巻き込むなんて、自分らだけで死ねばいいのに」うん確かに。突っ走りすぎたんですよねなどと相槌を打つ。っていうかこんな所で激論交わしても仕方ないし(笑)

ついにここまで来たか、行動に移す人が出てきてしまったかと。でも行動に移さないにしろ近いものを持つ人は決して珍しくないだろうと思う。初めに断っておくと、どっちにしろ共感はできないんですけど。何にしろ人殺した時点で「ちょっと待てよ、そこまでしないといけなかったか?」と。精神鑑定とか言ってるけど、必要か?現実に生きている実感が希薄で、現実と空想との線引きが出来ずに想像力が足りないまま突き進んでしまったのかなあと。なんだかなあ。
まああまり憶測で物言うのも悪いですけど。何かもう、とことん稚拙だなあ、漫画みたいだなあ…と。
あの手のバンドに何故痛いファンが集まりがちかというと(ちゃんとした人も勿論いますけどね、ああいう子がいるとどうしてもそっちの印象が強くなる)、依存を許しやすい、受け入れやすい雰囲気があるからじゃないかと思っているんですが。
だからと言って、私だってどこかで何かを間違えていたらめちゃめちゃ共感していたかもしれないし。それ言い出したらきりないけど。

でも人を巻き込んだらいけないよやっぱり…。心中するだけなら大して異論はないけど。女の子の方、理解者がいてくれて、これで何とか生きていこうとはならなかったんだねえ…と思う。なんだかなあ。
皆色々あるけど、それでもどういうわけか生きていかないといけないわけで、頑張っているんだと思うんだけど…でも他の人も辛いんだとかいう言い分は、切羽詰った立場の人には何も効き目はないのかもしれない。
どこまでも、なんだかなあ…。

しかし、それを報じる新聞記事の中の、「ボーリングフォーコロンバインの銃を乱射した生徒もゴシックが好きだった」とか何とかの記述には、「だから?」としか言いようがないが。いらなくない?その情報。
そうやって読み手をある一定の方向に導くような書き方は好きではない。特にマスメディアなのに。まあ公正な知識よりも、多少偏っていても面白くて辻褄合う方が好都合なのかもしれないが。でもそれは受け手側にも責任はあるようにも思う。


自転車のブレーキ故障を3日に渡って放置していたのを、ようやく直してもらいに行く。ブレーキのコードに巻かれた「駐輪禁止」シールの痕跡を指摘され、笑ってごまかす(汗)
これでまたばんばん乗り回すぞ。

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繭

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