水1小クラス。「傾聴」という事で、相手の相談に乗り援助していく上での話の聞き方などの方法について。
学生一人がクライエント役で先生とシミュレーション。しかしこの学生は普段から大して面白くない事を延々喋る人(失礼)で、別に先生に促されたりしなくても、放っておいてもよく喋るので、例としてはいまいち参考にならなかった。まあ模範的だなと思いつつ見た。
喋るのを頑なに拒否する人とか(つうか、それ自分)、そういう場合は先生はどう働きかけていくのか、その辺が知りたかったんだけど。

その後先のシミュレーションについて話し合い。感想や話を相談業務につく上での注意点について意見は出しつつも、一旦「心配しすぎる自分の性格を見てまた心配になるとかわけわかんないし、で終わるよ私ならー」「性格大ざっぱだし」「あー私も」などという言葉が飛び交いだすと、ぎこちなく笑いつつ黙り込んでしまう自分。
いつからそうなったよ。入っていけない雰囲気だったとかそんな事過剰に気にして、別に雰囲気壊さずに違う意見を持ち込む事くらい、できるでしょうが。でも何か面倒くさくなってしまう。
こういう講義になると、誰が私の話なんか聴きたいかねえと思ってしまう。ひねくれている。いや、興味の有無に関わらずどうでもよくても話は聴かないといけないし、喋りたくなくても拒否しているわけにもいかない。それでは講義にならない。子供じゃないんだから。
でもそれを考えると、「この人、こっちに興味もないのに無理して…」と余計に考えてしまう。つまらない性格だと思って嫌気がさす。だけどそう思ってしまうのは自分にとって真実でもある。

またそうやっていじけてしまうわけね。いやまあ本当は色々信用したい。相手の事も。信用したいんだけど…。
でもやっぱり、頭でわかるのと心でわかるのとでは違うからねえ…というところで虚しさを感じてしまう。相談業務の技術について教科書読んだって、ノウハウはわかるけど結局共感を持つとかそういうのが本当の意味でわかるわけではない。そこを感じて黙ってしまうのだろうと思う。たかが講義中の事でしかないのにそこまで頑なにねえ…。
「相手のことを一笑に付さない」とか言っても、やっぱり付すでしょうよ。そりゃあ。それはどうしようもないという事はわかるし。
なんて、自分の権利ばかり主張しているみたいだけど、一応私は人の話は聴くんだけども。でもそれがいつも積極的かと問われると自信がない時点で、人の事は責められないのだと思う。

相手の事をわからないなりに、いかにわかろうと努め歩み寄れるかが重要になってくるのだと思うけど、あまりにわからなさ過ぎると今度は接近をやめて対象と自分との間に線引きをする事に走るんじゃないかと。そんな風に思い込んでいる。
相手の根っこにある価値観を見つめるとか、どういうわけでその言葉が出たのかとか、そんな事よりも皆自分が喋りたい欲求で頭一杯なんじゃないかなあ(話し合い中にそんな感じも見受けられた)などと。
といってまたいじけるのだった。良くないね…。悲観するにはまだ早いと思うんだけど。傾聴たってねえ…。

最終的に自分の中で全部シミュレーションしちゃって、その結果を見て「やっぱり、どうせ駄目だろう」とがっかりする、そういう事の繰り返しで、一人相撲の感じが否めない。何故そう思い込むようになったか?という根拠はある程度あるにしろ、それがいつでも絶対というわけではない。
結局自分一人でがっかりしてるわけです。人との関係性において。結果はすでにわかりきっているって、自分何様よ?本当にさあ。
でもまあ、世間話は随分上手くなりましたけど…。何を言いたいか、ではなく、この場で何を言うのがふさわしいか、この人はどういう風に言葉を返してほしいと思っているのか、そんな事ばかり最近気にしている気がする。何にもならない。

相談業務をする上で信頼関係が必要だとはいうけど、そもそもこのクラスの人も先生も私は好きじゃないわけね(クラス全員というわけじゃないけど、でも全員分名前を覚える気になれない時点でどうかと)、いきなりその時点で引っかかるので、無理な話じゃないかなーと。
このクラス出るのってすっごいストレスなんだよマジで…。

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繭

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