昨日の夜中に考えてたんだけども。
夏休みを挟んで(夏休み自体は特に関係はない)からというものの、不特定多数の人に関わられたり関わったりするのがわずらわしく感じるようになった。
それは一時的なものかもしれないしそうであって欲しいんだけど、とにかく初対面の人と話す精神力が落ちている。
数年前の自分の事を引き合いに考えてみたけど、鬱屈しまくって心もかなり壊れていて人ともあまり折り合い良くはないけど、それでもできたら人といい関係を築きたいと切実に願い希望を持っているのと、
表面上は誰ともにこやかにやっていてさしたる苦しみも抱えてはないんだけど、どこか人に心を閉ざしてびくびくしているのとではどっちがましなんだろうか。

もうちょっと極端じゃない二者択一はないんかお前は、という感じでもあるけど、今の自分は後者の方に片足突っ込んでるので、出来たら人と安心して話せるような方向に努力したい(或いはなりゆきにまかせたい…けどそれは駄目だな。)と考え中。
前者はまあ、良いわけないわな(苦笑)完全にテンパッてたのにそれにまるで気付かなかったのは周囲の二、三の鈍感な友人だけ。上手く繕いきれてた積もりでいたのは自分だけで、案外皆解ってたのかもねえ…(だとしてもそれもなかなか薄情な気がするが…)。
というか人の目が怖くなくなっても、別にそんなに自分の突っ込んだ話はしないかもなあ。話したいという地点まで再び戻るにはもう少しかかるだろう。

と考えてたけど、今日のグループワーク(クラスの人は読んでないだろうな、それがちと怖い)が良かったので体制を若干立て直す。
自己開示やら自己覚知やらが出てくるあたり、やってる事は小クラスとほぼ同じだけどこっちの方が好感触。グループ分け(今後これで固定らしい)が運良く大人な感じの人が多く、割とアタリだったせいもある。ああ安心だ。良かった。頑張るぞ。

「相手の話を聴く」事を主体に置く講義。今日の講義の中で、集団という形式により発生する有害性と有用性について説明があったが、まさに私はそれに激しく翻弄されるタイプで、まず排他性の漂う集団なら私はどこまでも貝になるからな。まあ集団できりゃ大体こっちでしょなどと勝手に悲観しているわけですが。
逆に互いの差異を認め合い活かす雰囲気のある集団なら、結構別人のように喋ったり笑ったりという方向に自然となる。取りあえず今の段階では良い方向に傾いてるので2時間連続の講義が苦痛にならなくて済みそうだ。

同グループのうち二人と思わぬつながりを発見した事も一因。あのCさんの所にかつて介護に入っていた二人と偶然遭遇。介護者ノートで名前は知っていたけど、ちなみに春前にすでにC家を去っている。
思うに、介護者同士の連帯や話し合い、愚痴の言う場がなかった事が原因の一つだったのではと、これは今の介護者同士の集まりを見ていても思う事だが。私も悶々と悩んでは家で日記に書き付けて発散していたので(主に他メンバーの事で)、しんどさを感じたら話を聴くよと言ってもらい。ああありがたい…。
辞めた側なので、考え方の転換を促してもらうとかいう方には行かない気はするけど、でも「?」と思った時の話し相手がいる事は嬉しい。出来たら続けたいしさ…。

福祉実習?・?について、本来同時には取れないのだが、例外を認めてもらってる人もいるよとの噂により、ゼミと?がかぶっている私は来年まとめて取る積もり(それも大変だ…)だったのだが、K先生にその旨を相談すると「そんな例は聞いた事ないなあ〜」

ギャフン(笑)

いや、笑っている場合ではないんだが。おい誰だそんなデマ流して!
だけど見た感じ親身な先生で、取り合えず私が真面目に単位も取っているのも考慮して、まあ他の先生に掛け合ってみましょうとのお言葉をいただく。た、頼みますよ先生!これがボツになったら本気でキツイです私…。
K先生の講義は考えるものが多いので福祉系では一番熱心に聴いている。(ヨイショしてる訳ではありません、念のため(笑))

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繭

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