介護者会議のため大阪へれっつごー。
にしても毎回人が集まらんなあ…と思う。この日は7人くらいか。
この日思い切ってCさん(2度ほど介護に入った脳性マヒの方)にインタビューのお願いをしてみたらあっさり快諾。ああ助かった…。早速日程を設定する。
でもCさんは多分言葉もそんなにすらすら出ないし聞き取りづらいし、時間取らせてしまうから体力的に大丈夫かなあと気にもかかるのだけど、できるだけ喋る負担を減らすように工夫しようかと思う。他では聞けない話が聞けるとも思うし。

前に2度ほど書いたAさんだが、早速初対面の人にも風貌含めて違和感を与えていたような…。ちょっと見方が変わり始めたので書いておく。前に「先天的か性格的なものか」と書いたけど少なくとも完全に先天的な問題というわけではないのではと思う。
初対面の人をつかまえて、ヘルパーの講習や社共の実習で「あなたはヘルパーにはならない方がいい」「仕事に向いてないし無理ですから」と言われた事やバイトでも「人が余りだしたから」と理由をつけられてクビになった事などを延々ぶちまけていた。
けれどその聞き役になっていた人が結構大人の人で見るからに優しそうで、辛抱強くAさんの話を聞いて嫌味のない優しい言葉をかけてあげていた。ちょっと私にはそれはできんね…。

会議終了後、私と他グループのIさんとAさんとでお好み焼き屋へ。本当なら介護をやっていく上での悩みや姿勢の事などを話しあったりするのだけど、
そこでもさっきの事に加えて「介護グループの人が増えてきたら私はいらないと言って断られるんじゃないか」とか色々と話し始める。それを二人で(私は上手い言葉が思いつかないので主にIさん中心で。そばで聞いてると「なるほどそう言えば良いのか〜」となかなか勉強になってしまった)一生懸命フォローする。もはやAさんの身の上相談会である。
でまあ確かにそれはわかるかな〜というのもあるので自分なりの共感を述べてみると「それは直しようがあるけど私のは性質だから直らないんです」と。そうか…。そんな気はしたけど…。

全く気持ちがわからないわけじゃないし「馬鹿じゃないの?」などと軽く侮蔑する事もできないのだけど、私と何が違うかといえばやっぱり、このくらいにもなるとやっぱり人に合わせたり空気を読んだりする事も必要になってくるわけで、Aさんにはそれがどうもできないらしいという事だろうか。自分がどうも嫌われているんじゃないかというのは察知しているようだが、それで相手の立場(不快感とか都合とか)にたつわけではない。そんな余裕もないとは思うけど。

ちょっと擁護しきれないものを感じ始める。他の人みたいに完全にあざ笑う事もできないが。でも半端に共感しようがAさんにとっては用をなさないのだろうが。だってその悩みに寄り添おうとは思えないもんなあ…。ねちっこくてさあ…。
ひたすら自分のヘヴィーな悩みを話し続けるAさん。一段落したかなーと思ってもまたさっきの話を蒸し返したり。あまりに終わらないのでさすがの私も上タイトル状態。たまには一歩引くことも、自分の中で悩みを消化する事も必要だと思うのだが。自分の悩みに付き合ってくれる人がいるだけでも羨ましいですねといったところだ。私からすれば。なかなかそこまで強引に付き合わせようと思えないな。馬鹿にはできないが、一度相談相手としてつかまってしまうとこっちが疲弊してしまいそうだ(電話かかってきた事もある)。

きっと次会った時も延々自分の話をされる。この日はとりあえず、Aさんが自分が切り捨てられない居場所を探しているらしいという事はわかったしそれには同意するものはある。でもAさんの場合それが過剰すぎて…。
Cさんは障害を持っているため戦争中に邪魔なものとして切り捨てられていたから、その痛みも知っているはずなのでAさんを切り捨てるような真似はしないと思う。ただそのその家族の方と他の介護者がどう言っているのかを知っているので…なんとも。そういう私もどうかしらんけどさ(苦笑)
社会を変えたいとは言うのだけど、さすがに二人の人間がいたら条件の良い方や自分にとって合う方を選択するだろうし、企業で能力別の賃金差をなくすことはないだろう。どうも「弱い者が切り捨てられない社会」ではなく「自分が切り捨てられない社会」を求めている気がする。そう思うのは人間の心情として責められるものでないけど、何かの拍子で自分が拾われたら、例え社会自体は変わってなくてもそれにAさんが心を痛める事はなさそうな気がする。
それが駄目とはいわないけど…でもちょっと付き合うのはしんどいです。許容量を遥かに超えている。高校の頃同じような人がいた事を思い出した。
私もそんな風に映っていないか、反省材料にする。

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繭

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