捨てられない言葉が唯邪魔になるだけ 願ってはみた
2003年7月16日食欲がないのだけど無理矢理昼ご飯を食べて、新風館へ行く。
といっても新風館自体には用はないのだけど。一時流行ったカフェめしとか好きそうなオシャレ志向の人々の集まる場では(繭(仮)さんにはそう見えるらしい)私は場違いなこと甚だしい。
一目散にVVへ。気分転換のため。うわあラーメンズコーナーできてるよおい。ポップまで設置されてるし。
しかし『桜』からビデオ買ってないな。内容思い出すために買おうかと思ったけど、やはり買わない。
それより隣にあった松尾さんの本の方が気になるよ。何だこりゃ(笑)SPA!の連載だったのね。うわあ。ひたすらうわあ。
安部公房の『人間そっくり』を買おうかと迷いつつも、どうも既に入手済みな気もしてやめる。引越し後本は大半がダンボールの中なので全然覚えていない。
自分が買ったのくらい覚えておきなさいな。まさか健忘症ではあるまいな。
うわー西岡兄妹の『ぼく虫』、これ新版?中身少し差し替わってるわ…。買えって事か?うぎゃあ。
色々と欲しくなりつつも結局『クレーの絵本』だけ購入、ビームスボーイをひやかして帰る。
最近服買ってないな…。ナオトのバーゲンも行かず仕舞いだし。
しかし心斎橋のVVは移転しただけなのだという事を知り、一安心。それが今日の収穫。今度行ってみよう。
手持ちのCDばかり聴いているので、新しいものを求めていざツタヤへ。
げ、SEVENないじゃん。仕方なしに斉藤和義の中から適当に見繕って借りる。
(どうでもいいけど「幸福な朝食〜」の歌い出しを聴くと同時に毎回グルグルの曲が頭の中で同時進行するのを何とかしたいのですが)
ピロウズは極端に品揃え悪し、バクチクは貸出し中。うおお。狙いがことごとく外れる。
私の地元でもレンタル店はもっと充実してるぞ。田舎にしては異様なくらい。
さてどうするべと思って見渡し、目にとまったので急遽ディルの『鬼葬』に決定〜。
うわあ、歌詞が。わはは。
前にレコ倫のことを話していたけど、これはレコ倫でも大丈夫なんですね?
その一方ではカリガリの「ええっ、これが駄目なんスか!?」と聞きたくなるようなのが駄目だったりして…全く基準がわからん。個別の事情でもあるのかしら。
ツタヤ○○○店、もうちょっと頑張って下さい。ついでに『鬼葬』3枚は多いでしょう。
ようやく重い腰を上げ「自分史」をやっつけにかかる。昨日頑張ったので5枚弱は既に埋まっている。
しかし問題はここからなんだよね…。へへへ〜…。
こういう個人的な事を誰かに語る場合、そこには語る内容以上のところに「理解して欲しい」「信用してるのよ」「近しいものを感じる」等々の意図(期待)が含まれるのが一般的かと思うのですが、
そういう意図をばっさり排除して乾いた感じで書けば案外抵抗がないなという事に気付き、それからは筆、じゃないな、キーボードのタッチが進むのであった。
もう文という文があまりに雄弁に語りつつも、各文末では「まあ、どうでもいいんだけどね」と言っているような、そんな文章になってしまった。
完全に投げやりな感じが出ている…。でもかなり細かに書いているのでバツは付くまい。
ひたすら仕事に徹してますけど、ふと「何やってんだ私」という気分に引き戻される。エアポケットにすぽんと入る。
もうしらふではやっておれませんな。(呑みながらやっているという意味ではないです)たそがれてしまうわ。
しかし間違った打ち方をしているせいか、右手ばかりが凄く痛くなる。右手の仕事量が七割を超えているかと思われます。ううう、もう嫌だ。痛てえよお。
しかも腹痛がピリピリと。うごー。
しかしここの所家にいる時はテレビ見てコーヒー飲んで音楽聴いてボーっと、みたいな、
完全に退化する方向に進んでおります。どうしよう、こんなんで。
でも何をする気も起こらないのであった。本もしばらくまともに読んでない。
碌な事考えずそれで遅くまで起きてるし。深夜四時のベランダでたそがれてる場合ではないよ自分。
誰の言葉があれば眠れるのだろうか。
さてね。
といっても新風館自体には用はないのだけど。一時流行ったカフェめしとか好きそうなオシャレ志向の人々の集まる場では(繭(仮)さんにはそう見えるらしい)私は場違いなこと甚だしい。
一目散にVVへ。気分転換のため。うわあラーメンズコーナーできてるよおい。ポップまで設置されてるし。
しかし『桜』からビデオ買ってないな。内容思い出すために買おうかと思ったけど、やはり買わない。
それより隣にあった松尾さんの本の方が気になるよ。何だこりゃ(笑)SPA!の連載だったのね。うわあ。ひたすらうわあ。
安部公房の『人間そっくり』を買おうかと迷いつつも、どうも既に入手済みな気もしてやめる。引越し後本は大半がダンボールの中なので全然覚えていない。
自分が買ったのくらい覚えておきなさいな。まさか健忘症ではあるまいな。
うわー西岡兄妹の『ぼく虫』、これ新版?中身少し差し替わってるわ…。買えって事か?うぎゃあ。
色々と欲しくなりつつも結局『クレーの絵本』だけ購入、ビームスボーイをひやかして帰る。
最近服買ってないな…。ナオトのバーゲンも行かず仕舞いだし。
しかし心斎橋のVVは移転しただけなのだという事を知り、一安心。それが今日の収穫。今度行ってみよう。
手持ちのCDばかり聴いているので、新しいものを求めていざツタヤへ。
げ、SEVENないじゃん。仕方なしに斉藤和義の中から適当に見繕って借りる。
(どうでもいいけど「幸福な朝食〜」の歌い出しを聴くと同時に毎回グルグルの曲が頭の中で同時進行するのを何とかしたいのですが)
ピロウズは極端に品揃え悪し、バクチクは貸出し中。うおお。狙いがことごとく外れる。
私の地元でもレンタル店はもっと充実してるぞ。田舎にしては異様なくらい。
さてどうするべと思って見渡し、目にとまったので急遽ディルの『鬼葬』に決定〜。
うわあ、歌詞が。わはは。
前にレコ倫のことを話していたけど、これはレコ倫でも大丈夫なんですね?
その一方ではカリガリの「ええっ、これが駄目なんスか!?」と聞きたくなるようなのが駄目だったりして…全く基準がわからん。個別の事情でもあるのかしら。
ツタヤ○○○店、もうちょっと頑張って下さい。ついでに『鬼葬』3枚は多いでしょう。
ようやく重い腰を上げ「自分史」をやっつけにかかる。昨日頑張ったので5枚弱は既に埋まっている。
しかし問題はここからなんだよね…。へへへ〜…。
こういう個人的な事を誰かに語る場合、そこには語る内容以上のところに「理解して欲しい」「信用してるのよ」「近しいものを感じる」等々の意図(期待)が含まれるのが一般的かと思うのですが、
そういう意図をばっさり排除して乾いた感じで書けば案外抵抗がないなという事に気付き、それからは筆、じゃないな、キーボードのタッチが進むのであった。
もう文という文があまりに雄弁に語りつつも、各文末では「まあ、どうでもいいんだけどね」と言っているような、そんな文章になってしまった。
完全に投げやりな感じが出ている…。でもかなり細かに書いているのでバツは付くまい。
ひたすら仕事に徹してますけど、ふと「何やってんだ私」という気分に引き戻される。エアポケットにすぽんと入る。
もうしらふではやっておれませんな。(呑みながらやっているという意味ではないです)たそがれてしまうわ。
しかし間違った打ち方をしているせいか、右手ばかりが凄く痛くなる。右手の仕事量が七割を超えているかと思われます。ううう、もう嫌だ。痛てえよお。
しかも腹痛がピリピリと。うごー。
しかしここの所家にいる時はテレビ見てコーヒー飲んで音楽聴いてボーっと、みたいな、
完全に退化する方向に進んでおります。どうしよう、こんなんで。
でも何をする気も起こらないのであった。本もしばらくまともに読んでない。
碌な事考えずそれで遅くまで起きてるし。深夜四時のベランダでたそがれてる場合ではないよ自分。
誰の言葉があれば眠れるのだろうか。
さてね。
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