土日はひたすらレポート用の本借りたりテスト勉強したりと、地味〜に過ごす。
だけど、原因がわからないまま物凄く気落ちしていた。別に特別何があったというわけでもなく。どこまでも落ち込む。ああもう、心が重い。
まあ時々こんな日もあるし…。でももはやテスト勉強どころではなくなってしまった。

自分がどんどん「関係」から脱落していく実感があり、それが止められないと思う怖さのためか。
今まで色々と錯覚してたのかなあなどとも思い、
最近あまり良く思われてないのかなあ、まあ元気全然ないし一緒にいても楽しくねえわなあ、などとも思い、
しかし元気がない→避けられる→余計元気がなくなるの悪循環じゃないか?どうなるの。止められるの。
そもそも授業で人に会う機会が減った事が発端だったかななどとも思い。

しかし何かメール打ちゃあ全部特撮ネタで返してくる某とか、
どれだけサイン出しても(意図的に出すってのも寒いかなあとは思うが)全て巧みにすり抜ける某とか、
大体メール10往復くらいしましたよ?なのに全てについてあれだけとぼけた返事返すっていうのは、そりゃあこっちが勝手に勘繰って落ち込むのも仕方ないわけで、
なのに「4チャンに養老先生出てるよ」「志賀直哉の随筆でどれがお勧め?」とかにはきちんと返事返すのな。仕方ねえか…。

徒労感。人と多少でも繋がり合おうとするならそれは過程においてついて回るのだからその辺覚悟や了解をすればいいのに、私は結局手前で諦めてる気がする。
早いうちに見切りはつける、でもその事実を確認する(何のために?)ために未練がましくメールを送っているのが今の自分じゃないのか。不毛だ。

でも無理して妙な方向にはもう走らないけど。
しかし本当に心がとことん寂しく寒々しいというか、しかし万が一のためなのか「もうどうでもいいよ」と思う部分もあるというか、
まあ、そんな不毛な事考えてひたすら沈没。ずぶずぶと。
やっぱりどうしても寂しいなあ。

テストはまあ、真面目にやってたしノート見たし、大丈夫受かる受かるとか適当に言い聞かせてしばらく脇に置いておき、
バックホーン『人間プログラム』(タイトル何か凄い)とイースタン『孤立無援の花』を聴いて、無理にでも良いので元気になってみる。
こういう命の塊ガツンと投げつけてくるようなのも時には聴かないと参る。本当に参ってる時には結構しんどいが。
イースタンはギターがザクザク(?)してるせいか10曲まとめ聴きが個人的に厳しいのだけど、一曲ずつ聴くとやっぱり良い。
轟音でガーっと鳴ってるんだけど、寂寞とした感じも同時にあって、しみじみ染みる。

CD漁って、ついでにグルグル映畫館を聴いてみる。
あの物凄いメンバー交代以来新譜聴いてないのだけど今どうなってるんだろう。
「アンプの使い方がよくわからない」(爆)とか言ってもいいから、そこそこ上手いけど普通のバンド、とかになってませんように。
まあ音も歌も微妙と言えば微妙なんだけどさ(失礼か)

しかしまあ、親子関係にしてもこっちが一人で根に持ってるだけかもしれなく、
大体自分のした事言った事というのは忘れがちなものだし(この辺自戒の念も込めて)、
そんな完璧な親なんかいるわけないじゃないか、うちは別に普通であって受け取る側の問題だというのも頭ではわかるのだけど。
でも実家離れたお陰で今そこそこ穏便にすごしてるわけで、適度に距離も取れてるつもりだし随分楽にもなったし、
だからまた実家というか地元に戻って元の木阿弥になるのだけは避けないかん、こっちで仕事ちゃんと探そう、という気持ちも芽生えるのであった。
あんな閉塞感の中では人は何も言えなくなるよ。まあ私が田舎気質が駄目なのもあるか。決して人を助けない共同体主義というか。

別に眠れないのではなく、眠らなかっただけ、考え事するために、そういう風に取ろう。

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繭

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